父と子


 

 元英は則天武后の時の太常卿(注:宮廷の祭祀を司る部署の長官)であった。仕事人間で、毎日分刻みで公務をこなしていた。職務優先の人生を送り、開元年間(713〜741)に亡くなった。かれこれ二十年前のことになる。

 ある日、元英の息子が打物屋に行くと、父の墓に納めたはずの剣が置いてある。店の主人に訊ねると、
「それは、先日お預かりした品でさ。修理を頼まれておりますんで」
 と言う。持ち込んだ人物の姿形を問うと、
「ご身分の高そうなお役人風のお方でした。明日の午後、取りに見えることになっとります」
 とのことである。息子は亡き父が持ち込んだのかもしれない、と思いながらも、或いは墓泥棒が盗んだ可能性もある、と疑った。
 翌日、弟と二人で打物屋へやって来た。店内で剣を受取に来るのを待っていると、やって来たのは亡くなった父であった。白馬に跨がり、官服を着込み、従者を数人連れた姿は生前と変わらなかった。兄弟は店の外に出て、道端に跪いて涙を流しながら待った。
 元英はせかせかと剣を受け取ると、そのまま馬に飛び乗った。その時、道端に二人の息子の姿を見つけ、急いで馬から下りて呼び寄せた。元英は物陰に息子達を呼び入れると、矢継ぎ早に家の様子をきいた。また、息子達の答えに応じて、幾つか指示を与えもした。元英が、ふと思い出したようにきいた。
「おい、母さんは元気にやってるか?」
「何をおっしゃるんです?お母さんなら十五年前に亡くなりました。ちゃんとお父さんと合葬しましたよ。あちらでお会いになってないんですか?」
 元英はいささか驚いたようであった。
「とっくにこちらに来ていたのか。知らんかったよ」
「お父さん、しっかりして下さい。亡くなってからボケられたんじゃないでしょうね」
 元英は決まり悪そうに言った。
「いやな、ワシも生前の癖が抜けんで、こちらに来てからも宮仕えを続けておってのう。折角、死んだのだから優雅な隠居生活でもすればよいのじゃろうが、じっとしておれんのじゃ。死んでも治らんとはこのことじゃな。今日もな、仕事の合間を縫って剣を受け取りに来たというわけじゃ。それにしても、母さんも十五年前にこちらに来ておるのか。戻り次第、調べてみるとしよう」
 二人の息子はいささか呆れた。元英が仕事人間なのは死んだ後も変わりなかったからである。
「やっ、時間だ。午後も忙しくてな、いつまでもお前達と話しておられぬのだ。そうだ、明日、また会おう。最近は物価も高いそうじゃな。少しばかり小遣いをやるから。明日のこの時間でどうだ?丁度、こちらも昼休みだから仕事を抜けられる。よいな、遅れるでないぞ」
 そう言い残すと、あたふたと馬に跨がって走り去った。

 翌日、息子達が打物屋の前で待っていると、刻限通り元英がやって来た。元英は懐から三百貫の銭を取り出して渡すと言った。
「よいな、これだけは忘れるな。この銭は三日以内に使い切るのじゃ。手元に残して蓄えにしようなどと思うなよ」
 そして、別れの言葉もそこそこに立ち去ろうとするので、息子達は泣きながら後を追った。元英は振り向いて、
「お前達は本当に物分かりが悪いなあ。人と幽鬼では住む世界が違うのじゃ。どこにいつまでも親子の関係を引きずる奴がおるか」
 と言い放ち、馬に鞭をくれて走り去ってしまった。息子達は諦めきれず、泣きながら馬を走らせて後を追った。泣き声は父に聞こえているはずなのに、振り返ってもくれなかった。
「お父さ〜ん、お父さ〜ん」
 東北の上東門を出た時、遙かに元英の馬が山の中に入っていくのが見えた。数十歩も進むと、その姿は消えてしまった。息子達は泣き泣き城内に戻り、父から貰った金で生活必需品から贅沢品まで三百貫で買えるだけ買い込んだ。父に言われた通り三日以内に使い切ってしまった。

 三日後、どの店の売上金の中にも死者に供える紙銭が混じっているのが発見された。商売人達は幽鬼が買い物にでも来たのだろうか、と不思議がった。

(唐『広異記』)