蒋煥


 

 (注:江蘇省)の人、蒋煥(しょうかん)は年若く美貌で、俊英として知られていた。

 弘治十四年(1501)、県の学生であった蒋煥は推薦を受けて都の試験に臨むこととなった。運河を舟で上り、臨清(注:山東省)というところで上陸した。時は夕暮れ近くで、蒋煥は路傍の民家の門前で少し休憩してから宿を探すことにした。彼が腰を下ろしたのは瀟洒(しょうしゃ)な門構えの一軒家であった。その繊細(せんさい)なこしらえに心をひかれた蒋煥はすぐには去りがたく、しばらくその場にたたずんでいた。
 いよいよ夕闇が近づき、蒋煥はその場を離れることにした。その時、門が開いて下女が出てきた。実はこの家の娘が蒋煥の姿に目をとめ、下女を迎えにやったのであった。
 蒋煥が客間で茶を飲んでいるところへ、娘が挨拶に現れた。娘もまた美貌であった。そのあでやかな姿に蒋煥は仙女に出会ったような心持ちになった。間もなく酒肴が並べられ、二人は下女の給仕で酒を酌み交わし始めた。
 酒がすすむ内に打解けて、若い二人はいつになく大胆になった。気がつくと夜もとっぷりと更け、下女の姿は消えていた。蒋煥は娘に導かれるままに奥へ通された。そこは娘の寝室で、二人は鴛鴦の夢を結んだ。
 娘の家ではたまたま父親が外出していて留守であった。三日後、帰宅した父は隣家から娘がよその男を泊めたことを聞かされ、激怒した。父は早速、蒋煥を捕えて役所に突き出そうとしたが、思い直してこう言った。
「あなたは良家のご子息で俊才です。私も娘は可愛い。こんなことになってしまっては、どうしたらよいのかわかりません。あなたを役所に突き出せば、少しは気が晴れもしましょう。しかし、娘を傷ものにされた恥をそそぐことはできません。そこでこれは一つ提案ですが、娘はまだ誰とも婚約しておりません。あなたにうちの婿になっていただきたい。そうすれば、あなたを役所に突き出さないとお約束しよう」
 蒋煥もこの提案に否やがあろうはずがない。こうして蒋煥は娘を妻の家の婿となった。娘の家に足を止めて十日が過ぎた。気がつけば肝心の試験の期日が迫っていた。蒋煥は急ぎ旅立つことにしたのだが、娘はまるで今生の別れであるかのように嘆き悲しんだ。蒋煥も後ろ髪を引かれる思いで都へ旅立った。

 試験の結果は散々なものであった。蒋煥は失意のまま臨清の妻の家に戻ったのだが、自分を迎える愛しい妻の姿はなかった。舅は涙ながらに言った。
「婿殿が出かけてからというもの、娘は朝晩泣き暮らしておりました。あまりに泣きすぎたのでしょう、体を損ねて、とうとうはかなくなってしまいもうした」
 そして蒋煥に娘の肌着を見せた。蒋煥は娘の肌着を抱きしめて、絶え入らんばかりに泣いた。その晩は妻の供養のために祭壇をしつらえて夜通し泣き明かした。
 舅の勧めもあって蒋煥は故郷に戻ることにした。舅に別れを告げて舟に乗り込んだのだが、舟では死んだはずの妻が待っていた。舟で運河を下る一月の間、蒋煥には亡き妻の姿が見えた。不思議なことに妻の姿が見えるのは蒋煥だけで、ほかの誰にも見えないのであった。
 実家に戻ってみると、書斎に妻が坐っていた。以来、寝ても覚めても自分に寄り添う妻の姿が見えるのである。時には茶碗の茶の中にも妻の姿を見ることがあった。驚いた蒋煥は別の茶碗に茶を注いだ。すると、新たに注いだ茶の中にも妻の姿が映るのであった。
 蒋煥の憔悴(しょうすい)ははなはだしく、ついに床に就く身となった。不審に思った家族に理由を問われて、蒋煥ははじめて他郷で娶った妻を亡くしたことを告白した。
 病の癒える兆しは見られず、心配した家族は蒋煥の身柄を城内へ移して医師の診察を受けさせることにした。蒋煥の目には自分の病床に付き添う妻の姿がいつも見えた。

 蒋煥はしばらくして亡くなった。二十三歳であった。

(明『庚巳編』)