洛陽三怪記(三)


 

「ほんに、おいしいなあ」
 目を細めて老婆が言う。女の方は酒の酔いが回ったらしく、目の縁をほんのり紅くしている。二人はあっと言う間に人の肝を平らげてしまった。老婆は名残惜しげに指をペロペロ舐めていたが、間もなく出て行った。すっかり酔っ払った女は寝台に上がって来ると、潘松の隣ですぐに寝息を立て始めた。
 春春が忍び足でやって来て、潘松の体を揺すぶった。
「若旦はん、寝とる場合やありませんえ。早う起きて下さいな」
 もちろん、潘松も眠っているはずがない。帳から身を乗り出して春春にすがり付くと、
「春春、何とかしとくんなはれ。お前が生きてた時には小遣いもやったわなあ、菓子も買うてやったで、覚えとるやろ」
 と頼み込んだ。
「ちょ、ちょっと、しがみつかんといて下さいな。逃がしてあげますよってに、うちのお願いも聞いて下さい」
「なんや、何でも聞いたるで」
「どうもうちの家族は信心が足らんようです。で、うちがこんな目に遭うてるんです。よってに、ここを出はったら、おかあちゃんにこれからは功徳を積むよう言うてやって下さい」
「言うたる、言うたる、安心しいや」
 潘松は請け合った。春春は続けた。
「これからうちの言うことをよう憶えて下さい。ここは劉平事のお庭です。今は誰もおらしません。長らく無人になっとるんです」
「劉平事、劉平事…劉平事やな」
 潘松が復唱する。
「あの御寮はんは玉蕊娘娘(ぎょくしんにゃんにゃん)いいます。あの紅い衣の恐ろしい顔したのは赤土大王、ばあやは白聖母いいます。この三人が今までにどれだけ人を殺めてきたか、仰山いすぎて数え切れんほどです」
 春春の言葉を潘松は一言一句聞き逃すまいとする。
「えっ…と玉蕊娘娘に、白聖母…赤土大王…と」
「さ、若旦はん行きまっせ、急がんと御寮はんが目え覚まします」
そう言うと春春は潘松を寝台の傍らにポッカリと口を開けた穴へ導いた。穴は外へと通じていた。春春が、
「ここから外はすぐです。さあ、早う」
 と言って潘松を穴に押し込んだ。潘松は振り返って春春に、
「春春、おおきに、おおきにな。この恩は生涯忘れへんで」
 と言うと急ぎ足でその場を離れた。
 外は夜明け前でまだ暗い。潘松はひたすら駆けた。駆け続けている内に東の空が白んできた。途中、木こりに出会ったので大通りへの道を尋ねた。それからしばらく行くと遠くに廟が一つ見えた。なかなか立派な廟である。
 潘松が立ち寄ってみると、灯火が明々と灯され、朝早いのにもかかわらず参拝客でごった返している。参拝客に立ち混じって本堂に入ってみれば、祭壇に泥の塑像が三体安置されていた。塑像は五彩で塗られ、まるで生きている人のよう。何気なく祭壇に近付いてその塑像の顔を見た潘松は、
「あっ!」
 と叫ぶなり気を失ってしまった。ビックリした参拝客が潘松の周りに集まって来た。
「何や、何や、誰か倒れたで」
 皆で介抱する内に潘松は息を吹き返した。しかし、すぐには物も言えず、塑像を指差して、
「うわ、うわ…」
と言うばかり。差し出された水をゴクリと一口飲んでから、改めて塑像を指差して、
「あ、あ、あれは何や?」
 と訊く。参拝客の誰かが、
「ああ、あれでっか。ここでお祀りしてはる神さんですわ。ようできてまっしゃろ?真ん中のが赤土大王はん、右側が玉蕊娘娘はん、別嬪はんでっしゃろ、左のが白聖母はんですわ」
 潘松の顔が見る見る蒼ざめた。この三体の塑像は他ならぬ、夕べ見た三人なのである。参拝客はなおも説明を続けた。
「うちら近在のものは毎年清明節になると、今年の豊作を祈ってここにお参りするんですわ。ほんまに霊験あらたかでっせ。…あれ、兄ちゃん、もうおらんようなってしもた」
 潘松は廟を飛び出すと一目散に走り出した。
 ようやく家に着くと、一晩帰ってこなかった息子を心配していた両親に夕べ自分が体験したことを逐一話した。初め、両親は、
「お前何か悪いもんでも食べたんとちゃうか」
 と言って取り合いもしなかったが、息子の余りに真剣な形相に、
「う〜ん、そないな不思議なこともあるんかいな」
 と納得せざるを得なかった。
 早速、潘松と父親は天応観の徐守真に会いに行くことにした。出迎えた守真が潘松に、
「ぼん、昨日はどないしたんや、急にいなくなってしもいよって。さては、どこぞで誰かと逢引かいな?」
 と、からかい半分に言うので、
「何言うとるんや、昨日はえらい目に遭うたわ。妙な術を使う婆さんにどっかに連れ込まれるわ、人が生き肝をえぐられるのを見させられるわ、ほんまに命が縮むか思うたで」
 と、夕べの一事を話して聞かせた。話を聞き終えた守真は奥に引っ込むと、一丈二尺(注:約3メ−トル60センチ)の黄色い絹を持って出てきた。そして祭壇に上り、いつにない真剣な面持ちで香を焚き呪法の用意を始めた。口の中で何やら唱えながら筆を取ると、その絹に何やら呪文のようなものを書きつけ、書き終わると燃やした。
 その時、祭壇に向かってどこからともなく一陣の強風が吹き始めた。風が吹き止んだかと思うと、どこからか黄色の袍を纏い、頭巾で髪を包んだ筋骨隆々とした力士が進み出て大音声で呼ばわった。
「これなる潘松には四十九日の災いがあるによって、これらの妖魔を呼び寄せることとなった。この災いはまだ払うことはできぬ。時にあらず、時にあらず」
 守真は潘松の父親に向かって、
「ご子息には四十九日の災いがありますな。しばらく身を隠したほうがよろしいでしょう」
 と勧めた。父親が息子の方を見て見ると、潘松は恐ろしさの余り気絶していた。

 と言うことで、潘松は天応観で災いを避けることとなった。一月余り過ぎたある日のことである。潘松は退屈なので庭の池で魚釣りをすることにした。釣糸を垂れてしばらく待っていると、急にグイと手ごたえがきた。かなりの大物のようである。
「かかった、かかった、えらい重いな、こんな小っこい池にいるのはせいぜい鯉くらいのはずやが…うんせっ、うんせ…っと」
 力一杯釣竿を引いた。

ザバアッ…

 水音とともに何やら姿を現した。何とあの老婆である。あの老婆が白目を剥いて釣針をくわえているのであった。
「ヒャア〜!!」
 驚いた潘松は釣竿を放り投げると、その場にぶっ倒れてしまった。

 

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