操(二)
菊英のためによい婿を探し求める程翁の耳に、張秀才の息子の噂が届いた。
娘
ところで、青陽(注:安徽省)に徐という資産家がいた。大富豪で大地主、おまけに地元の有力者ともコネがあった。息子は一人きりで、その名も登第といった。徐家では一人息子ということで、一家を挙げての猫かわいがり。登第(注:"試験に及第する"という意味)という大層な名前をつけただけあって一応は家庭教師を招いて勉強させることにした。しかし、溺愛されたわがまま息子に何の勉強ができよう。結局、家庭教師の方が徐家をはばかって、登第の機嫌を取り結ぶのに腐心したため、登第は一句も読めなければ、一字も書けない有様であった。
それにしても息子可愛さというのは恐ろしいもので、登第が十三、四歳にもなると、徐老人は大枚をはたいて名のある私塾に入れ込み、一字も理解できないのにいっぱしの学生に仕立て上げた。今日は科挙中最難問の八股文の出だしだ、明日はその結論だ、と言われたところで、登第に何が書けたであろう。教師の方でも授業料さえ入ればそれでよいのだから、とやかく言わなかった。とんだエセ学生もいたものである。しかし、当節、このようなエセ学生、登第一人に限りないのも事実であった。
ボンクラはボンクラなりにおとなしくしていれば、それなりに可愛いものであるが、自分の馬鹿さ加減に気がつかず、大手を振っていい気分。話す言葉は俗物丸出し。それでも周囲は資産家の御曹司ということで、気を遣って取り繕いもするのだが、当の本人がボロを出してしまうのだからどうしようもない。と言っても本人は自分がボロを出したことに気がつかないのだから、幸せなものである。何かと気取っては、
「なり、けり、べけんや」
などとのたまうものだから、聞いているこちらが恥ずかしくなる。
不思議なもので人間どんなにボンクラでも、それなりの年頃になるとやることはやるようである。登第もご多分に漏れず、十五、六歳になる頃にはいっぱしに遊郭に出入りするようになった。そして酒も飲めば、博打も打ち、この方面に関しては人並みに発展した。
エセ学生でも学生は学生である。受験にも参加した。地獄の沙汰も金次第というわけで、親父はあらゆる方面に金を遣って何とか息子を及第させようとしたのだが、地獄の沙汰にも限界があった。答案用紙に、
「○、×、△」
ではどうしようもないのである。当然のことながら落第した。すると、登第は、
「ヘンッ!老いぼれ試験官にオレ様の今風な文章がわかるはずないや。腐れ試験官にオレ様の文才が見抜けるわけないさ」
などと馬鹿丸出しに嘯(うそぶく)くのであった。
徐老人は、
「ワシの可愛い坊やには是非とも美人で賢い娘をもらってやらねばな。そうでないと坊やと釣り合いが取れんからの」
とこちらも親バカ丸出しで遠近を問わず、嫁探しに奔走していた。そうこうしている内に徐老人は、程家の菊英に目をつけた。菊英が教養も女のたしなみも身につ
けていると知ると、早速、腹心の者を仲人とともに程家に送り込んだ。菊英の噂以上の美貌を目にした腹心の者は、当家の坊ちゃまの嫁に、と縁談を申し込んだのだが、程翁に即座に断られてしまった。徐老人はそれならば、と今度は五百金を結納にと持参して再度縁談を申し込んだ。この恥知らずな振る舞いに、程翁は不快感を隠せなかった。
「私は娘を売る気などない」
そこで、改めて仲人を立てて張秀才に縁談を申し込んだ。張秀才の方も徐老人が無体な横車を押しているのは聞き及んでいたので、もう縁談を断らなかった。こうして菊英と国珍の婚約が整い、吉日を選んで輿入れさせることにした。
このことを知った徐老人は烈火のごとく怒り狂った。
「ワシをばかにしおって。目にもの見せてくれるわ」