座像


 

 山(注:現在の江西省)山中に落星潭という淵がある。この淵は水が深く淀んでおり、魚がよくとれた。近隣の者にとって恰好の釣り場だった。

 五代十国の呉の太和年間(929〜934)のことである。一人の釣り人がここで釣り糸を垂らしていた。グイッと大きな手応えに続いて、釣り糸がピンと張った。どうやら大物がかかったようである。釣り人は竿を引いた。が、竿は大きくしなるだけで、糸は相変わらず張りつめたままであった。糸の張り具合から見てかなりの大物のようだ。釣り人は気合いを入れて踏ん張ると、獲物の引き揚げにかかった。
 ようやく引き揚げてみると、糸の先にかかっていたのは魚ではなかった。鉄の冠を被った座像のようなもので、一面、泥や苔に覆われていた。ただ、木像にしては重すぎ、石像にしては軽すぎる。どちらにしろ持ち帰っても仕方がないので、釣り人はそのまま放置して帰ってしまった。
 放置された座像は数日間、風に曝され、日に照らされて、徐々に苔が剥がれていった。時折降る雨が泥を洗い流した。
 ある時、その座像は豁然と両の眼を見開いた。そして、立ち上がった。その日は天気が良かったため、淵には釣り人がたくさん来ていたが、この突然ことに誰もが驚いた。一同の見守る中、座像 ―― もう立ち上がっているので立像と呼ぶべきかもしれない ―― は水際に歩いて行くと、水を掬って顔を洗い出した。もっと驚くことに、この座像は振り向いて口を利いたのである。
「ちょっとお尋ねしますがの、ここは何処で、今はいつの時代ですかな?」
 釣り人の誰かが、
「ここは江州の廬山ですわ。楊の大殿様(注:五代十国呉を建てた楊行密のこと)の末の若様(注:第四代の楊溥)が今のお殿様です」
 と答えた。座像は首をひねりながら話を聞いていたが、やがてドボンと水に飛び込んでしまった。釣り人達は呆気に取られて見守っていたが、座像はいつまでも浮かび上がってこなかった。
 淵は深く静かな淀みを取り戻した。

(五代『玉堂閑話』)