何二娘


 

 元年間(713〜741)の広州に何二娘(かじじょう)という娘がいた。年は二十で、母と二人、鞋(くつ)を作って細々と暮らしていた。ごく平凡な娘で、仙術などと縁はなかった。
 ある日、何二娘はこのようなことを言い出した。
「気晴らしにどこかへ行きたいわ」
 母親は特に気に留めていなかったのだが、数日して何二娘は姿を消してしまった。
 実は何二娘は空を飛んで羅浮山(らふさん)の寺へ行っていたのであった。僧侶にどこから来たのか、とたずねられた何二娘はこう答えた。
「和尚様にお仕えしようと思って参りました。どうかここに置いて下さいませ」
 僧侶は不思議に思ったが、何二娘を寺に置くことにした。
 寺に住み込むようになって、何二娘は初めのうちは一切、飲食をせず、毎日、寺の人々のために木の実を集めてお斎(とき)を作った。木の実は羅浮山では見られないものばかりであった。
 羅浮山の北に循州(じゅんしゅう)という所があり、南海から四百里も離れていた。循州の山寺に幾抱えもある見事な楊梅(ようばい)の木があっ た。何二娘はいつも循州へこの楊梅の実を採りに行っていたのである。
 後に循州の山寺の僧侶が羅浮山を訪れてこのようなことを言った。
「先頃、仙女が楊梅の実を採りに来ました」
 詳しくたずねてみると、それは何二娘がお斎を用意した日と一致した。寺の人々はようやく何二娘が神仙であることを知った。
 それからしばらくして何二娘は寺から去ったが、一月に一度は訪れるのであった。
 天子は勅使を広州に遣わして何二娘の身柄を捜し求めさせた。
 勅使は何二娘の居場所を突き止めると、早速、勅命を伝えてともに都へ向かうこととなった。途中、勅使は何二娘の美貌に心動かされ、不埒(ふらち)な考えが浮かんだ。しかし、口には出さなかった。
 突然、何二娘が言った。
「ここにはいられませんわ」
 言い終わるや、身を躍らせて空高く飛び去った。

 その後、何二娘の姿を見た者はいない。

(唐『広異記』)