咳止めの薬


 

 者の張先生はもとは山東の貧民であった。
 ある時、人相見の道士にこんなことを言われた。
「何か術を売りものにすれば金持ちになりまするぞ」
「何をすればよいでしょう?」
 道士はしばらくじっと見てから、
「医者がよろしかろう」
 と答えた。
「しかし、私は少々文字を読める程度なのですが」
 道士は笑って、
「血のめぐりのお悪いお方じゃ。名医になるのにどうして文字をたくさん知っている必要がある。まずはやってご覧なされ」
 と励ました。
 そう言われて、張先生は古本屋で医学書を手に入れると、さっそく街中に店を張った。店といっても露店のようなもので、地べたを掃き清めて日除けの幕を張る程度であったのだが。とにもかくにも魚の歯やら蜂の巣など薬らしいものを並べて、舌先三寸で医者の真似事をしてみた。

 たまたま、青州(注:現山東省)の府知事が咳を患い、触れを出して名医を求めていた。この付近にはもともと医者が少なかったので、数合わせで張先生にもお呼びがかかった。
 しかし、張先生、自身も長年咳を患い、治せないままであった。そこへこのような命令を受けて懸命に断ったのだが、断りきれず、府知事のもとへ送り込まれることになった。
 途中、山深い里を通りかかった。この時、張先生はにわかに喉の渇きを覚え、咳がひどくなり難渋(なんじゅう)した。里人に水を乞うたのだが、当地では水は玉漿(ぎょくしょう)のように貴重で、よそ者になど誰も分けてくれない。途方に暮れていると、野菜を洗う女の姿が目に入った。野菜の量のわりに水が少ないので、ドロドロと何とも汚らしい。張先生、この時にはもう喉は焼けつくよう。そのようなことにはお構いなしで、水をもらい受けてゴクゴクと飲みほした。ホッと一息ついてその場を離れた。
 しばらくして、不思議なことに気がついた。あれほどひどかった咳が嘘のようにおさまったのである。これはうまい処方だわい、張先生は喜んだ。  青州府に到着した時には、多くの医者が治療を試みたあとであったが、府知事の咳は一向に良くなっていなかった。
 張先生は治療にあたって、一室にこもって一枚の処方箋を書き上げた。実はそれは見せ処方で、皆がその処方箋に気を取られている隙に、人を街に やってあかざや豆の葉などを買い求めさせた。そして、それを少量の水で洗い、その濯いだ水を薬と称して府知事に進めた。
 府知事は青臭くどろりとした水を前にして飲むのをためらった。しかし、咳はますますひどくなる。そこで、鼻をつまんで一気に飲み干した。
 果して咳は一服でぴたりと止まった。府知事は大いに喜び、張先生に山のような褒美を与え、名医として表彰した。
 この一件が大層な評判を呼び、門前にはいつも行列ができたが、張先生が診察して治らぬ者はなかった。
 このような例もあった。
 傷寒(しょうかん、注:腸チフス)にかかった患者を診察したのだが、この時、張先生は酔っていて、間違って瘧(おこり、注:マラリア)の薬を渡してしまった。酔いが醒めてから気が付きはしたのだが、このことは秘密にしておいた。
 その三日後、たくさんの礼物を携えて訪ねてきた者がある。それは例の傷寒の患者であった。聞けば、渡された薬を飲み、したたかに吐き下したところ、治ってしまったとのことであった。
 張先生の見立てはほとんどがその強運に支えられたものだったのである。

 張先生は道士の見立て通り、金持ちになった。その評判が高くなればなるほど、自分を安売りしなくなり、それ相応の礼金をはずまないと、出かけなかった。

(清『聊斎志異』)