明察


 

 崇亀(りゅうすうき)が南海(注:現広東省)を治めていた時のことである。
 ある富商の息子に若くて色白の美男子がいた。何より美男子であったから、同業の中でも際立っていた。この息子が舟をある岸辺に停泊させた。近 くには立派な楼閣がそびえていた。ふと見上げると、窓辺に坐る一人の女の姿が目に入った。
 年の頃は二十歳余り、すこぶる艶麗(えんれい)である。じっと見つめているうちに、女の方でも気がついた。しかし、一向に視線を避ける気配を見せないので、富商の息子はふざけて声をかけてみた。
「夜になったら、お邪魔しますよ」
 すると、女は含み笑いをしてうなずいた。
 その夜、女が暗い部屋で扉を開けて息子を待っていると、コトリ、と物音がして誰やら入ってきた。女は息子がやって来たと思い、抱きついた。
「待ってたわ」
 続いて小さな悲鳴の後に物の倒れる音がした。

 富商の息子は暗闇を手探りで進んだ。開いている扉があった。どうやら女の部屋らしい。呼びかけてみても返事がない。さては奴さん、じらしてる な、と思い、ソロソロと部屋へ入っていった。その時、ヌルヌルするものを踏みつけて滑って転んだ。はじめは水かと思ったが、水にしては生暖かい し、何より生臭い。手で探ってみると、柔らかい物が転がっていた。それは女の死体であった。
 富商の息子はビックリ仰天して舟へ駆け戻ると、その夜のうちに舟を出航させた。夜明け前に、百里の彼方まで逃げ去った。

 翌日、女の家では娘が殺されているのを発見して大騒動になった。死体の側には牛刀が転がり、男のものらしい血まみれの足跡が残されていた。足跡をたどっていくと、それは岸辺まで続いていた。そこで役所に訴え出たのであった。
 役所の方で他の舟から事情聴取を行った結果、富商の息子が夜中に慌しく舟を出したことがわかった。早速、捕吏が差し向けられ、息子の身柄を拘束した。拷問すると、女の部屋に行ったことは認めたが、殺したことは認めなかった。
 この事件は崇亀が自ら審理することになった。崇亀はまず殺害に使用された牛刀を調べてみた。それは屠殺(とさつ)人の使うものであった。そこ で、
「何日に、街中の屠殺人に牛刀を持たせて打毬(ポロ)場へ集めよ」
 と命じた。
 当日、集まった屠殺人は点呼(てんこ)を受けた。夕方になり、
「今日はこれまで。各自、牛刀はその場に残し、明日、改めて取りに来るように」
 と言いつけて散会した。
 崇亀は残された牛刀の中から無作為に一本を選び、殺害に使用されたものと取り替えておいた。
 翌日、屠殺人達は牛刀を引き取りにやって来た。めいめい自分の牛刀を受け取って帰って行った。最後に来た男が自分の牛刀がない、と騒ぎ出した。
「これはお前のではないのか?」
 そう問われて、男は憤然(ふんぜん)として答えた。
「違います。自分の道具くらいわかります。これは私のではありません。某のものです」
 急いで捕吏を差し向けたところ、某はすでに逐電(ちくでん)していた。一計を案じた崇亀は別の死刑囚を引き出し、富商の息子と称して処刑した。某は逃亡先でこのことを知ると、ノコノコ戻って来た。それを張り込んでいた捕吏に逮捕された。
 某は洗いざらい白状した。それによると、あの夜、某は盗みのために家に入ったところ、扉の開いている部屋があった。忍び込んで物色しようとしたら、突然、暗闇で抱きつかれ、てっきり捕えられると思い、相手を牛刀で刺し殺したとのことであった。
 某は殺人の罪で処刑された。

 富商の息子は殺人に関しては冤罪(えんざい)であることが明らかになった。しかし、家宅侵入と姦通の罪で、杖刑(じょうけい)に処せられた。

(五代『玉堂閑話』)