草履大王


 

 の街道沿いに百年になる古木があった。枝葉が生い茂って木陰をなし、道行く旅人に格好の休憩所となっていた。
 旅人は皆、ここで憩(いこ)い、くたびれた草履を履きかえた。また戯れて古い草履を枝に投げ上げることもあった。このようなわけで、古木の枝には数百、数千もの草履が掛かっていた。
 いつの頃からか草履を投げ上げる時にうまく引っかけられるか否かで、吉凶を占う者も現れた。これがよくあたるという評判であった。
 ある時、一人の士人が科挙の受験のためここを通りかかった。旅人のならいとして、ここで一休みして草履を履きかえた。珍しくほかの旅人はいな かった。
 士人はふといたずらを思いついた。そこで、刀で幹の皮をはぐと、
「草鞋大王、某年月日降(草履大王、某年某月某日降臨す)」
 と書きつけた。
 士人が帰りにここを通りかかると、古木の傍らに小さな祠(ほこら)が建てられていた。士人はおかしくてたまらなかったが、このことは誰にも話さなかった。
 三年後に再び通りかかると。小さな祠は立派な廟宇に建てかえられていた。しかもその周囲には十数軒の旅籠や民家が建ち並びちょっとした宿場に なっている。士人もこれには仰天した。住人にたずねてみると、誰からも、
「そりゃあ、霊験あらたかですからねえ」
 という答えが返ってきた。士人は少々恐ろしく感じた。
 士人は廟を参拝することにした。祭壇の前に額ずいて、神にこう問いかけた。
「神の名前はそれがしが戯れて書きつけたもの。どうしてこのように信仰が盛んになったのでしょう。そもそもどこのどなたが神様になられたのでしょうか」
 その晩、士人の夢に紫綬(しじゅ)を帯びた神が現れた。
「ワシはこの近くの老巡査でござった。生前、清く正しく暮らしていたが、職を退いてからもずっと苦労のし通しで、死んで華山の五里関に送られてようやく休むことができもうした。ほかにとりえと言ってなかったのだが、上帝はワシの労績を記録しておいてくれた。ただ、神の空きがない。ちょうどそこへ先生、あなたが号を書いてくださったのです。おかげで上帝の勅許を得てここに神として祭ってもらえることになりもうした」
 士人が言った。
「霊験はどのようにして顕れるのでしょう?」
「これはワシがそうしているわけではない。晴雨や吉凶の祈願があった場合、まずすべて上帝に上奏する。上帝が祈願した者の誠実さに応じて霊験 を下されるのじゃ」
「ならば、それがしの前途を問うこともできるのでしょうか?」
「よいですぞ」
 翌日の晩、神がふたたび夢枕に現れて言った。
「某年に及第して、官職につけます」
 果たして、数年後、夢のお告げ通り士人は試験に及第した。

(宋『蘆浦筆記』)