鬼国


 

 代の梁の時のことである。青州(注:現山東省)の商人の乗り組んだ船が大風に遭い、航路をそれて漂流した。しばらく流されていくうちに、遠くに山や城郭の影が見えてきた。それを見た船頭がこのようなことを言った。
「今までにも流されたことは何度かあるが、このようなところは初めてだ。噂でこの辺りには鬼国があると聞いたことがあるが、それではあるまいか」
 船は岸辺に漂着し、乗組員はひとまず上陸することにした。城に向かう道すがら目に入る民家から田畑まで、すべて中国と同じであった。人に出会うごとに挨拶をしてみるのだが、誰も反応を示さない。まるでこちらの姿が見えていないかのようであった。やがて城についた。番兵に挨拶をしてから城門をくぐったのだが、やはりこちらが見えないようである。
 城は非常に豊かで、行き交う人々の様子も人家も立派であった。王宮らしい建物に入ってみると、ちょうど大宴会の最中で数十人の群臣が居並んでいた。その衣冠に器皿、楽士達の奏でる楽器もすべて中国のものと似通っていた。
 一同は御殿に上がり、玉座に近づいて様子をうかがった。すると、突然、玉座の上で王が苦しみ出したかと思うとそのまま卒倒した。侍従達が慌てて王を助け起こし、巫人が呼ばれた。巫人は言った。
「これは陽地の者の仕業じゃ。陽気に中って王はご病気になられた。陽地の者もたまたまこの地にやって来ただけで、悪意あって祟りをなしているわけではない。ここは飲食、車馬を十分に与えて帰らせればそれでよい」
 早速、別室に宴席が設けられ、王と群臣が祈り出した。一同は席について思う存分飲み食いした。今度は馬が牽いて来られ、一同はこれに乗って船まで戻ったのだが、鬼国の人達にはその姿は見えずじまいであった。
 船は鬼国を離れると順風に恵まれ、中国に無事戻ることができた。

 青州節度使の賀徳倹が魏博節度使の楊思厚と親しくしており、鬼国に流された商人を楊思厚のもとへ遣わしてこの話をさせた。范宣古も一緒にこの話を聞いた。この話は范宣古がしてくれたものである。

(宋『稽神録』)