猫いらず


 

 客という人がいた。これは通称であって、本名を誰も知らなかった。いつも蓑(みの)を着て笠をかぶり、腰に袋を下げて街中で猫いらずを売っていた。木彫りの鼠を看板代わりにしており、猫いらずを買う人があれば、必ず、
「これは鼠を殺すだけでなく、人の万病を治すこともできますぞ。飯に混ぜて食べさせれば、病などいちころじゃ」
 と言っていた。しかし、猫いらずをあえて口にしようとする人はほとんどいなかった。
 猫いらずを買った客の中に張賛という本屋の主人がいた。父親は七十をとうに越え、ながらく中風を患って寝たきりであった。
 ある日、鼠に大事な売り物の書籍を数巻かじられた。腹を立てた張賛は李客から買った猫いらずを、鼠の通りそうなところにまいておいた。
 その夜、張賛はおそくまで起きていて、猫いらずの効能を確かめることにした。ほの暗い灯火の下、大きな鼠が数匹、巣穴から這い出てきた。通り道に猫いらずがまいてあるのを見ると、えさと思い込んで群がって食べ始めた。
「ざまあ見ろ」
 張賛がそう言い捨てて眠ろうとしたその時、驚くべきことが起きた。鼠達の背中に羽が生えたかと思うと、そのまま外へ飛んで行ってしまったのである。思いがけない出来事に張賛は仰天した。
 翌日、張賛は李客にこのことを話した。すると、李客は、
「それはきっと鼠じゃなかったんでしょう。でたらめを言いなさんな」
 と取り合わなかった。張賛がさらに猫いらずを買い求めようとすると、
「もう品切れでしてな」
 と言って、店じまいをしてしまった。
 張賛が仕方なく父に鼠の残した猫いらずを服用させてみたところ、手足がしゃんとした。今まで寝たきりだった父は履(くつ)をつっかけて元通り歩けるようになったのである。

 その後、李客の姿を見かけた者はいないという。

(宋『野人閑話』)