美談の裏側


 

 海の郭純(かくじゅん)が母を亡くした。以来、彼が母の墓前で泣くたびに鳥が群れをなして集まるようになった。近隣の者は郭純の孝心に感じ入った天が鳥を遣わしているのだと噂し合った。
 この不思議はやがて都に報告された。その真偽を確かめるために使者が派遣されてきた。使者が地元の百姓に身をやつして郭純の墓参の様子をこっそり窺ってみると、彼が泣き出すと確かに鳥の群れが集まってくる。すっかり感動した使者は都に戻って、自分の見たままを感情たっぷりに報告した。
 郭純をまれに見る孝子と判断した朝廷は、彼を華々しく表彰することにした。改めて郭純のもとに勅使(ちょくし)を派遣して、天子から旗指物が下賜されたのである。
 実のところ、郭純は泣く時には必ず地面に煎餅のかけらをまいていた。鳥はこの煎餅目当てに集まってきていたのである。そのようなことを何度か繰り返すうちに、鳥は人の泣き声のあるところではエサにありつけると思うようになった。こうして、孝子郭純が誕生したわけである。

 河東の王燧(おうすい)の家では犬と猫を飼っていたのだが、不思議なことに犬が猫の子を、猫が犬の子を育てるという不思議な現象が見られた。このことを知った州や県の長官はこれこそ究極の友愛だとばかりに争って都に報告した。そして王燧は孝子として表彰されたのである。
 この話も何のことはない。同時に出産した犬と猫の子を生まれてすぐに取り替えたのである。犬の親も猫の親も自分の子が取り替えられたことに気が付かないまま育てていただけであった。

 世間で瑞祥ともてはやされることはたいていこういったもので、とりたてて珍しがる必要はないのである。

(唐『朝野僉載』)