唐太宗入冥


 

 史の李淳風が太宗皇帝に謁見した際、言葉もなく涙を流した。帝が涙の理由を問うと、
「陛下は今晩、崩御なされます」
 と答えた。この時、帝は健康状態極めて良好で不審に思ったが、ただ、
「人生には定めがある。憂いてどうなるものか」
 と言って、淳風を宮中に留めた。
 その夜中、帝は人事不省に陥り、崩御した。朦朧(もうろう)とする意識の中、一人の男と出会った。男は言った。
「陛下、しばらく、私についていらして下さい。すぐにお帰し申し上げますから」
 帝が問うた。
「その方は何者だ」
 すると、男はこう答えた。
「臣は生人にして冥土の事を判ずる者にございます」
 帝は男に連れられて、冥府へおもむいた。判官は帝にたずねた。
「六月四日のこと(※)を覚えておるか?」
 それから、先ほどの男に帝をこの世へ送って行かせた。
 その頃、天象の変化を見た淳風は皆に泣くのを禁じた。帝の遺骸を見守っていると、間もなく息を吹き返した。

 帝があの世で会った男を探させたところ、蜀道の県丞(けんじょう)であることがわかった。この職は聖旨(せいし)で与えられたものだというのだが、帝にはさっぱり覚えがなかった。

(唐『朝野僉載』)


※太宗李世民が兄の皇太子建成と弟元吉を玄武門で誅殺したこと。この事件は武徳九年(626)六月四日に起きた。