育ての親


 

 る男が侯官(注:現福建省)で教官の任についていた。妻との間に一子があった。数年後、教官の妻が死ぬと、夫もその後を追うように亡くなり、幼い子供だけが残された。
 教官は興化(注:現福建省)の出身で、侯官には身寄りがなかった。郷里の興化には数十畝の痩せた田畑を所有しているのだが、幼い子供にはそこへ戻るすべがない。その時、一人の女が子供を引き取って興化に連れ戻り、教官の親族に子供を養育したい旨を伝えた。
「こちらの旦那様にはたいそうお世話になりました」
 親族は侯官にいた時期のなじみの女だと思い、
「賢婦人だ」
 と感心した。
 女は田畑を耕しながら子供を養育した。しかし、痩せた田畑からの収穫は少ない。女は子供に不自由をさせないよう、自分の生活はできるだけ切りつめた。
 子供が少し大きくなると、塾に入れた。塾の教師もこれに感心した。
「賢婦人だ」
 子供は女を亡き父の妾だと思い、実の母のように慕った。女も実の子供のように慈しんだ。
 子供が成人を迎え、しかるべき家との縁談を整えると女は言った。
「私はここにいるわけにはまいりません」
 そして、出て行こうとする。子供が驚いたのはもちろん、親族も、塾の教師も驚き、懸命になって引きとめにかかった。
「今までの苦労して育ててきたのに、どうして出て行くというのです?」

 実は女は去勢者だったのである。教官とは男色関係にあり、情愛は非常に親密であった。教官夫婦が亡くなり、他郷に子供が一人残されたことを知ると、女のなりをして恋人の忘れ形見を育て上げたのであった。

(清『柳崖外編』)