人殺しの徐渭


 

 渭(じょい)、字(あざな)は文長、山陰(注:現浙江省)の人である。才能豊かであったが、なかなか認められなかった。胡宗憲(こそうけん)が浙西総督となった時、その目にとまり、招聘(しょうへい)されて書記となった。胡宗憲の信頼ぶりは並々ならぬものであった。
 ある日、徐渭は杭州のさる寺院へ出かけた。僧侶たちの態度は無礼なもので、徐渭はこれを怨みに思った。晩は娼家に遊び、そのまま泊まった。敵娼(あいかた)が眠ってしまってから、その部屋履きを片方こっそりと袖に隠した。
 徐渭は夜が明けて胡宗憲のもとに戻ると、女物の部屋履きを出して見せた。
「杭州の寺院にて見つけました」
 これは徐渭の捏造(ねつぞう)であったが、胡宗憲は信じて激怒した。そして、詳しく調べもしないまま寺院の僧侶を二、三人捕らえ、見せしめに斬首した。
 徐渭は陰湿で執念深い性格の主であった。

 最初の妻の死後、再婚したが、すぐに離縁してしまった。その後、妾を入れた。美貌であった。
 ある日のこと、徐渭が外出から戻ると寝室の扉が閉まっており、中から笑い声が聞こえた。不審に思った徐渭が窓からのぞくと、僧侶の姿が目に飛び込んだ。僧侶は年若く、目のさめるような美男であった。これが徐渭の妾を膝に抱き上げ、たわむれていた。
 徐渭は刀を引っつかんで寝室に飛び込んだ。
「くされ坊主め、ぶっ殺してやる」
「まあ、血相変えてどうしたのです?」
 寝室には妾一人きりで、僧侶の姿などどこにも見られなかった。妾に僧侶のことを問い詰めても、何のことだかわからないようであった。
 十日後、徐渭は所用で外出した。帰宅してまっすぐ寝室に入ると、先日見た僧侶と妾が枕を並べて昼寝をしているではないか。
「ウォーッ!」
 徐渭は獣のような叫び声を上げて鉄製の燭台(しょくだい)をつかむなり二人に襲いかかった。

 徐渭は妾を殺した罪で捕らえられた。徐渭は妾と密通していた僧侶も殺したと主張したが、そのような僧侶は存在しないとしりぞけられた。幸い、友人たちの奔走のおかげで死罪は免れた。
 後に徐渭は悟った。すべては杭州で僧侶を陥れた報いだったのである。妾には何の落ち度もなかった。

 彼は二度と妻を娶らなかった。

(明『情史』)

 

 ※庇護者であった胡宗憲が失脚した後、徐渭は発狂します。耳を錐で突い たり、腎嚢(じんのう、早い話がタ○タマ)を槌で叩き潰したりして自殺を 図ります。こうした一連の狂気の発作の中で、ついには妻殺しの大罪を犯し てしまったのでした。