桃根の子牛


 

 の末のことである。
 襄陽(じょうよう、注:現湖北省)に邵桃根(しょうとうこん)という人がいた。邵家では一頭の子牛を飼っていた。子牛は丸々と肥え太り、とても愛らしかった。桃根はことのほかこの子牛を可愛がり、いつも自分で餌(えさ)をやっていた。子牛の方でもすっかりなつき、いつも桃根の後をついて回って離れなかった。
 ある日、桃根は役所の集会に出席することになった。出かけようとすると子牛が後をついて来る。追い払ってもついて来る。仕方がないので、子牛を繋いでから出かけた。置いてきぼりを食った子牛は一日中鳴き騒いでやまなかった。
 明くる朝早く桃根が門を開けようとすると、背後から子牛が突進してきた。桃根は子牛の体当たりをまともに食らい、肋骨が折れてしまった。家族が何度追い払っても、子牛は目を怒らせて桃根への体当たりを続けた。

 数日後、桃根も子牛も死んでしまった。

(唐『広古今五行記』)