破 れ 笠


 

 山(こんざん、現江蘇省)の船頭、楊は金という人と親しくしていた。金がふとした病で亡くなり、後には十七、八になる金三という息子が残された。身寄りもなく、財産もない金三が乞食に落ちぶれようとしたその時、手を差し伸べたのが楊であった。金三は楊の家族と共に舟で暮らすことになった。
 金三が舟に乗り込んだのは小雨のぱらつく中であった。楊は艫(とも)に向かって言った。
「そこにある破れ笠を持っておいで」
「はあい」
 可愛らしい返事が聞こえ、娘が笠を手に現れた。年の頃は金三と同じくらいの、愛らしい娘である。後になってこれが楊の一人娘であることを知っ た。
 金三は楊の恩に報いるために骨身を惜しまず働いた。楊夫婦も金三を我が子のように慈しんだ。楊には息子がなく、娘といえば一人きり。夫婦相談の上、金三を婿に迎えることにした。
 若夫婦の仲は睦まじく、一年余りして女の子が生まれた。楊夫婦も若夫婦も、目に入れても痛くないほど可愛がったが、子供は誕生日を過ぎて間もなく病にかかり、あっけなく死んでしまった。家族は悲嘆に暮れたが、とりわけ金三の嘆きようは激しかった。あまりにひどく泣きすぎたために病床に臥せる身となり、日に日に弱っていった。こうなると楊夫婦は金三を邪険にし、枕元で聞こえよがしに嫌味を言うのであった。
 ある日、楊は舟を孤島に停泊させると、金三を寝台からひきずり下ろした。
「薪(まき)がなくなったから、煮炊きもできやしない。ただ飯食らいを抱えているから薪が減るのも早いんだな。少しは申し訳ないと思うなら、焚きつけ用の枯れ枝でも拾って来たらどうだ」
 金三はよろめく足取りで舟を降りると、林の中へ枯れ枝を拾い集めに行った。抱えられるだけの枯れ枝を集めて戻ってみると、舟は影も形もなかっ た。金三は楊夫婦に置き去りにされたことを知った。
 彼は枯れ枝を投げ捨て、地に倒れ伏して号泣した。
「ああ、もう死ぬしかない」
 そして、河に身を投げようとした。しかし、すぐに思い直した。もしかしたら島に誰かいるかもしれない、そうすれば助けてくれるかもしれない、そう考えて林の中へ戻った。
 トボトボ歩くうちに、何本もの槍や矛(ほこ)がずらりと並べて突き刺してある所に出た。盗賊の砦(とりで)かとすくみ上がったが、どうやら無人のようである。思い切って列の中に入ってみると、落ち葉の下に大きなつづらが隠されていた。どれも厳重に鍵がかけられてあった。どうやら盗賊が盗んできた財宝を隠しておいたものらしい。運び出そうとしたが、つづらはたいそう重くてびくともしなかった。金三は岸辺に戻って、舟の通りかかるのを待つことにした。
 病は気からというが、それもまんざら嘘ではないようで、この時の金三は長患いの病人とは思えないほどしっかりとした足取りであった。
 幸運にも岸辺に戻ったところへ、一艘の舟が通りかかった。金三は舟に向かって大声で呼ばわった。
「お〜い、お〜い。いつまで待っても連れが来ず、大きなつづらを抱えて難渋しております。どうか乗せて下さ〜い」
金三が見つけたつづらは全部で八つあった。舟の若い衆に手伝ってもらってすべて運び出すことができた。儀真で舟を下り、ひとまず旅籠(はたご) に落ち着いた。部屋にこもってつづらの鍵を壊して開けてみたところ、中には金銀や珠宝がザクザクつまっていた。
 金三は人に怪しまれるのを恐れ、財宝の一部を少しずつ売って金に替えた。そして、本名を隠して一等地に大邸宅を構え、大勢の使用人を雇い入れ て商いを始めた。美衣美食の贅沢三昧な暮らしに、以前の病み衰えた面影はすっかりなくなっていた。妾を持つことを勧める者もあったが、金三は楊の娘のことが忘れられず、なかなかその気になれなかった。
 ある日、舟で下流の崑山を通りかかった。船着場で楊の舟を見つけたのだが、楊の方では金三だと気づかなかった。金三が舟の様子をうかがうと、艫に楊の娘が寂しそうに坐っていた。金三は娘が操を守っていることを知ると、涙が出るほどありがたかった。そこで一計を案じ、湖北へ貨物を運ぶためと称して楊の舟を雇った。

 話は少しさかのぼるが、あの日、楊が金三を置き去りにしたことを知ると、娘は泣き叫んで河に身を投げようとした。
「ひどいわ、父さん。あの人を捨てるなんて」
 驚いた両親がおしとどめて事なきを得たのだが、娘は日夜泣き続けてやまなかった。楊夫婦が何度も再婚を勧めても、娘は頑として首を縦に振らず、金三への操を立て通した。
 娘の強情にほとほと手を焼いていた頃、湖北へ貨物を運ぶ話が舞い込んだ。次々に貨物が積み込まれていったが、たいそうな量になった。
 貨物をすべて積み終わってから、雇い主が乗り込んできた。娘は艫から様子をうかがっていたのだが、その姿を見るなり叫んだ。
「まあ、あの人とよく似ていること!」
 母親が叱りつけた。
「何を寝ぼけてるんだい?あいつがあんなに立派なわけないだろう!とっくにどこぞでくたばっちまったさ」
 そう罵られて娘は口をつぐんでしまった。確かに記憶にある金三に比べて顔つきもふくよかだし、体つきも堂々としている。身なりも立派である。
 やはり思い過ごしかと思っているところへ、小雨が降り始めた。雇い主は楊に言った。
「雨が降ってきましたね。艫にある破れ笠を貸してくれませんか?」
 金三と楊の娘がはじめて顔を合わせたのは、破れ笠を渡した時であった。
「やっぱりあの人だ……」
 娘は嬉しさのあまり泣き出した。泣きながら破れ笠を手に駆け出し、金三の胸に飛び込んだ。

 楊夫婦は前非を悔い、許しを乞うた。金三もその恩愛を思ってすべて水に流すことにした。

(明『耳談』)