薬売りの翁
薬売りの翁(おきな)と呼ばれる老人がいた。誰もその姓名を知らない。いつも薬を売っているので、薬売りの翁と呼ばれているだけであった。時折、ふざけて、
「薬売りの翁、本当の名前はなんていうんだい?」
とたずねる者があると、ただ、
「薬売りの翁がわしの名前ですじゃ」
と答えるだけであった。
街の古老の話によると、その子供の頃に薬売りの翁を見たという。その姿は今と少しも変わらないそうである。
薬売りの翁は大きな瓢箪(ひょうたん)を一つ提げて薬を売っている。病気の者が薬を求めると、金を払おうが払うまいが薬をくれる。その効き目たるやてきめんで、どんな病気もたちどころに治ってしまう。しかし、病気でもないのに求めると、家に帰り着いた時にはすでに薬はなくなっている。こういうこともあって、みだりに薬を求める者はなく、皆、薬売りの翁のことを神様のように敬っていた。
薬売りの翁はふだんは街中で飲んだくれている。金を得ると、貧しいものにくれてやる。時折、誰かが冗談に、
「大還丹を売ってるかい?」
とたずねると、
「ありますぞよ。一粒一千貫じゃ」
と答える。その法外な値段に、
「爺さん、すっかり頭がいかれてるな」
と言って笑うのである。
薬売りの翁はよく笑いながら人を罵った。
「金がありながら薬を買わない連中は、さっさと墓を作りに行ってしまえ」
聞く人はその意味がわからず、
「本当にいかれちまった」
と笑うばかりであった。
後に長安へ薬を売りに行ったところ、大勢が薬を買い求め、薬はまたたく間に売り切れた。薬売りの翁が瓢箪を逆さにして振ると、最後の一粒が転がり出た。大粒でキラキラと輝いていた。薬売りの翁は薬を掌に載せてため息をついた。
「百年あまり人界で薬を売ってきた。何億、何兆もの人と出会ったが、誰一人、この薬を買おうとせなんだ。何とも惜しいことだわい。こうなったら自分で飲んでしまうしかあるまい」
そう言って薬を口の中に放り込んだ。すると、足元から五色の雲がわき起こり、どこからともなく風邪が吹き寄せた。薬売りの翁は風に乗ってそのまま飛び去った。
(五代『続仙伝』)