宣平坊の老人


 

 知章が仕官することになり、郷里を離れて長安の宣平坊に移り住んだ。向かいに小さな板作りの門を持つ家があり、いつも驢馬に乗った老人が出入りしていた。

 長安に住むようになって五、六年が過ぎたが、老人は少しも年を取らず、衣服もまったく古びない。また、老人の家族を見かけることもなかった。知章が隣近所に老人のことをたずねると、西市で銭さし(銭の穴に通してまとめる細いひも)を売る王老だと教えてくれた。知章は老人がただ者ではないと確信した。

 知章が時間の合間を見て老人のもとを訪ねると、たいそう丁重に迎えてくれた。老人に家族はなく、身近に召し使う童子が一人いるだけだった。知章が老人に仕事のことをたずねると、

「西市で銭さしを売っております」

 とのことであった。以来、しばしば行き来して、次第に親しくなっていった。

 ある時、老人は知章に煉丹(れんたん)の術を心得ている、と告げた。知章は日頃から道術に興味を抱いていたので、ひそかに老人に弟子入りしたいと願った。

 数日後、妻とともに一粒の明珠を持参して老人の家を訪ねた。

「郷里にいた折に手に入れ、ずっと大事にしまっていたものです。ご老人にさし上げます。どうか私を弟子にして下さい」

 老人は明珠を受け取ると、童子に渡した。

「これで、胡麻餅を買っておいで」

 しばらくして、童子が三十枚あまりの胡麻餅を買って戻ってきた。老人は胡麻餅で知章夫婦をもてなした。知章は内心、面白くなかった。

「せっかく贈った高価な明珠で胡麻餅を買うなんて。何て無駄な使い方をしてくれるんだ」

 老人は知章の心のうちを見抜いて言った。

「道術は心で会得するもので、力で勝ち取るものではない。ものを惜しむ心があるようでは、修行しても何にもならない。人里離れた奥深い山や谷で修行に専念してはじめて、道術の奥義(おうぎ)を得られるのだ。市場で買い物をするのとはちがうぞ」

 知章は老人の言葉にはっとした。

「私は飛んだ心得ちがいをしておりました」

 深々と拝礼して、家に戻った。


 数日後、老人は姿を消した。知章は職を辞し、道士となって郷里に戻った。

(唐『原化記』)