始皇帝と海神


 

 の鬲城(れきじょう、山東省)の東に蒲台(ほだい)がある。ここは秦の始皇帝が休んだところだといわれる。その時、始皇帝が台の下に、蒲で馬をつないだという。今でも蒲が生い茂り、「秦始皇の蒲」と呼ばれている。

 始皇帝は石橋を架けて海を渡り、太陽の昇るところを見きわめようとした。言い伝えによれば、当時、岩石を海に追い立てることのできる神がいた。陽城の十一の山が東に傾いて並んでいるのは、今にも動き出しそうに見えるのは、その時のなごりだという。

 また、別の伝説によれば、岩山の動きがのろかったので、神が鞭(むち)で殴りつけると、血が流れた。だから、今でも岩が赤い色をしているのだという。

 始皇帝が海に架けた石橋は人の手によるものではなく、海神が柱を立てたのだという人もいる。始皇帝はおおいに海神に感謝し、香を焚いて祈願した。

「一目会ってお礼を申し上げたい」

 すると、海神は言った。

「私の姿は醜い。絵に描かないと約束してくれるのなら、お会いしよう」

 始皇帝は石橋を渡って三十里のところで、海神と会った。その時、始皇帝の側近で小才の利く者が、そっと爪先で神の姿を写した。気づいた神は激怒した。

「すみやかに立ち去れ」

 その声とともに、石橋は音を立てて崩れ始めた。始皇帝はあわてて馬で引き返したが、馬の後ろ足が離れるそばから石橋は崩れ落ちていった。崩れ落ちる石橋に追い立てられながら、始皇帝は馬を走らせ、命からがら岸にたどり着いた。

(六朝『殷芸小説』)