丘(かくきゅう、注:現在の山西省)の県令であった周潔が辞職して、淮水(わいすい)流域を旅していた時のことである。
 当時、この地方は大飢饉(ききん)に見舞われ、街道筋の宿場はすっかりさびれ果て、どこにも泊まれるような宿はなかった。困り果てた周潔が丘に登って辺りを見回してみたところ、遠くに立ち上る煙が見えた。煙の方角へ道をたどると、一軒の人家があった。門をたたくと、しばらくして娘が一人出てきた。周潔は事情を説明して一夜の宿を請うた。すると娘は、
「我が家も飢えておりまして、皆患って臥せっております。何のおもてなしもできませんが、中堂に寝台がありますので、そこでお休み下さい」
 と言って、周潔を中堂に案内してくれた。娘はそのまま部屋の入り口に立っていたのだが、しばらくすると、妹らしい娘がやって来てその後ろに顔を隠して立った。周潔は荷物の中から餅を出して食べ始めた。娘がじっとこちらを見ていたので、その内の二枚を与えた。娘は受け取って礼を述べると、下がっていった。妹娘は相変わらず顔を隠したままであった。
 一人残された周潔は扉を閉じて眠りについたのだが、家中しんとして物音一つしない。あまりの静けさに周潔は恐ろしくなってきた。結局、一晩中まんじりともせず、夜明けを待って早々に出発することにした。
 娘を呼んでみたのだが、誰も出てこない。不審に思った周潔は家中を探し回り、固く閉ざされた一室を見つけた。扉をこじ開けて驚いた。部屋には何体もの屍が並んでいたのである。ほとんどがすでに白骨になりかかっていた。この家の住人であろう。
 一体だけまだ傷んでいない屍があった。それは昨日、応対に出た娘であった。その隣にもう一体屍が並んでいたが、顔の部分はすでに骨になっていた。周潔は妹が顔を隠していた意味を悟った。
 二体の屍の胸の上には、昨日、周潔が与えた餅が置いてあった。

 周潔は一家の屍を葬ってから、立ち去った。

(宋『稽神録』)