髑髏神
南宋の嘉煕年間(1237〜1240)のことである。
農村で十歳になる子供が突然姿を消した。家族は祈祷師を呼んだり、近隣の村に立て札を立ててその行方を探し求めたのだが、杳として手がかりがつかめなかった。
子供が姿を消してしばらく経ったある日のことである。その日も子供の行方を探して、身内の者が村から村へと渡り歩いていた。雨が降ってきたので、ある家の軒先で雨宿りをすることにした。すると、
「じっちゃん…」
と家の中から子供の弱々しい声が聞こえてきた。それは姿を消した子供の声によく似ていた。しかし、身内は大事を取って踏み込むことはせず、まず、その足で役所に通報した。早速、捕り手が差し向けられ、皆でその家に踏み込んだ。
人影はなく、ただ櫃(ひつ)が一つ置かれているだけであった。捕り手はこの中に子供が押し込められているのだろうと見当をつけて蓋を開けた。
「うわッ!!」
誰の口からか驚きの声が上がった。何と中にあったのは一体の骸骨だったのである。
「じっちゃ…ん」
骸骨の口が動いた。よくよく見てみれば、それは骨と皮ばかりに痩せさらばえてはいたが、行方不明になった子供である。まだ息があるので、役所に連れ帰って供述をとることにした。
苦しい息の下で子供の語ったのは、まことに奇怪な話であった。
さらわれた当初は食事も十分に与えられ、腹いっぱい食べさせてもらえた。しかし、日一日と徐々に食事の量が減らされ、ついには粽(ちまき)を一つ与えられるだけになった。まもなくそれも与えられなくなった。今度は毎日、酢を頭のてっぺんから踵まで全身にそそがれた。その上、関節や血管は釘付けにされて、その苦しいことといったらなかった。まさに言語を絶する苦しさであった。
哀れにも子供はここまで話したところで、息絶えた。
犯人はすぐに逮捕され、その家族も老幼を問わず全て捕えられて極刑に処せられた。聞くところによると、神降ろしをして占う者は骸骨に吉凶を問うという。その骸骨は死んですぐのものでないと役に立たない。そこで、よそから幼い男児をかどわかして来て、上記のような方法で骸骨にするのである。そうしてできた骸骨に吉凶を問うと、死んだ子供の魂魄は骸骨の周囲を浮遊しているので、これが占う者の耳元で囁くのだという。 これを名づけて「髑髏神」と呼ぶ。
(元『湖海新聞夷堅続志』)