男装する女たち

 

――――明 韓氏・黄善聰――――

 

 国で男装の麗人といえば、その代表格は花木蘭であろう。父の身代わりに男装して従軍すること十二年、たびたび武勲を立てて将軍にまで昇進したという女傑である。木蘭の場合、時代はおろか実在していたかもさだかではない。つまりは伝説上の人物である。
 男装の麗人は伝説の世界に限らない。女たちは様々な場面で男装した。ある者は木蘭のように孝心から、ある者はおのれの操を守るため、ある者は便宜上、男装したのである。ここでは『明史』に見られる男装の実例をあげてみよう。

 元の末、成都(注:四川省)東北の保寧に韓氏という女性がいた。姓が伝わるだけで名前はわからない。当時の中国はモンゴル人による中国支配が弱体化し、各地で反乱軍が蜂起して世は乱れに乱れた。韓氏の住む保寧も例外ではなかった。反乱軍の頭目の一人である明玉珍が麾下(きか)の軍団を率いて四川になだれ込んできたのである。このような時に一番、危険にさらされるのは女性の貞操であった。およそ軍隊というものが侵入すると女は辱められる運命にあった。それが官軍であろうと賊軍であろうと同じである。自分の操の危機を感じた韓氏は男装した。男ならば辱められることはないからである。そのまま男として暮らしている間に何の手違いでか軍隊に徴集された。
「被駆入伍」
 とあるから、兵隊狩りにあったのであろう。韓氏は兵士として転戦すること七年、その間、誰も女であることに気が付かなかったという。他の兵士達と幕舎で雑魚寝をすることもあれば、婦女子の略奪に加わわらざるを得なかったかもしれない。纏足(てんそく)した足は痛まなかったのか、などと想像してしまう。並大抵の苦労ではなかっただろう、きっと。
 韓氏の兵隊暮らしが終止符を打つのは、玉珍の雲南征伐に従軍して帰還する途中のことである。偶然、再会した叔父が身代金を払ってくれて、めでたく除隊。ようやく成都に戻ることができた。驚いたのは同僚である。昨日まで一緒に雑魚寝していた戦友が女の姿で現れたのだから無理もない。
 韓氏は洪武四年(1371)に尹(いん)氏に嫁いだという。成都の人々は韓氏のことを操を守り通した「貞女」と称賛した。

 次に挙げる黄善聰の話はすこぶる情愛に富むものである。

 黄善聰は南京の商家に生まれた。十三歳の時、母を亡くした。姉が一人いたが、この時すでに嫁いで家を出ていた。父は安徽(あんき)省一帯に販路を持つ香料商で家を空けることが多かった。妻の葬儀を終えた香料商は一つの重大な問題に直面した。それは手元に残された幼い娘のことである。自分が商いに出てしまうと娘一人を家に残すことになる。かと言って娘を連れての旅はもっと危険である。はてさて、どうしたものか…。
 父は妙計を思いついた。娘を連れていけないのなら、息子にしてしまえばいいのである。そこで、娘に男装させることにした。男の着物を着せ、纏足した足は詰め物を入れた靴下で隠した。そして、商いに同行させたのである。周囲は善聰のことを香料商の息子だと疑わなかった。
 数年後、旅先で香料商がみまかった。一人残された善聰は自力で南京に戻らねばならなくなった。旅の安全を考えて南京に戻るまで男の姿でいることにした。幸い、彼女は父のもとでかなり商売を仕込まれていたので、父の後を継いで香料の商売を続けることにした。名も張勝と変えた。ここに若き香料商張勝が誕生した。
 ある日、張勝は李英という若い香料商と知り合った。話してみると同じ南京出身とのこと。すこぶるうまの合った二人は共同で商売をしようと取り決めた。もちろん、李英は相棒が女であるなどと夢にも思っていない。以来、二人は一年あまり起居をともにすることになるのだが、李英は張勝が男であることに疑いをさしはさまなかった。ただ、張勝が人前では決して着物を脱がないのを不思議に思ったこともある。靴下さえ脱ごうとしないのである。用足しも夜更けにこっそり済ませているようであった。李英が一度冗談まじりにその理由をたずねると、
「僕は病気を持ってるからね。人に体を見られたくないんだ」
 という答えが返ってきた。
 さて、南京に戻った張勝と李英はそれぞれの実家に戻ることになった。張勝、つまり善聰の方は両親もいないので、姉の嫁ぎ先に戻ることにした。着替える暇がなかったのか、善聰は男の姿のままであった。姉が自分を見忘れているはずはないと思ったのかもしれない。しかし、姉の方では妹だとはすぐにはわからなかった。何年も会ってないのだから無理もない。姉は見ず知らずの男に向かって言う。
「私には兄も弟もいません。いるのは妹だけです。亡き父が行商に出かける時、いつも連れて行っておりました。もう何年も会っていないので、今では生死も定かではありません」
 とすげなく追い返そうとするので、善聰は泣いて訴えた。
「私がその妹です。外地で父が亡くなり、一人残された私は男の姿で行商を続けるしかありませんでした。そこで同郷の者と知り合って、ともに商いを続け、今日ようやく南京に戻ってこうして姉さんにお会いすることができたのです」
 そう言われてよくよく見てみると、幼い頃の妹とよく面差しが似ている。しかし、これで「妹よ」とはならなかった。南京までよその男と一緒だった、と言うのを聞いて姉は激怒した。何と言っても男女の別の厳しい時代である。若い男女が寝食を共にしただなんて。もしかして、曖昧(あいまい)な行為があったのでは…。姉は妹を散々罵った。
「若い男女が一緒に暮らしていて、何もなかったと言えるの?」
 善聰は姉の罵詈雑言(ばりぞうごん)をじっと耐えて聞いていたが、きっぱりと断言した。
「命を賭けて誓います」
 善聰が処女であるかどうかを調べるために、近所に住む産婆が呼ばれた。産婆は善聰の体を念入りに検査し、立派な処女であることを証明した。そうしてはじめて姉妹は再会を喜び合ったのであった。姉は早速、善聰の服装を女のものに改めさせた。
何も知らない李英が善聰のもとを訪れたのは翌日のことである。善聰は恥ずかしがって中々会おうとしない。それを姉が無理やり引っ張り出した。事実を知った李英の驚いたの何の。驚きのあまり、猛烈な恋煩いに陥ってしまったくらいである。その時の李英の有り様は、
「怏怏如失(怏々として失うが如し)」
 李英は帰宅すると早速、母親に頼んで仲人を通して善聰に結婚を申し込んでもらうことにした。気心の知れた仲であるので相手に否やもなかろうと思っていたら、当の善聰がその縁談を断ってきた。
「自分達の間には天地に誓ってやましいところはありませんでした。しかし、今、縁談がまとまって夫婦になれば、それこそ曖昧な行為があったという疑惑の裏付けをするようなものです」
 と言うのが善聰の言い分である。善聰の操の正しさに李英はますます惚れ込んだ。何度も仲人を通じて求婚する。姉も周囲も熱心に勧める。しかし、善聰は頑として首を縦に振らなかった。この騒動はやがて南京の地方長官の耳に入った。善聰の操の固さに感心した地方長官のお声掛かりで、めでたく二人は結婚することになったのである。