華山の道士
乾隆(1736〜1795)初のことである。
北京の白雲観の道士が華山(注:陜西省)を訪れた。夜は湘子亭というところに泊まったのだが、そこで一人の道士と知り合った。その道士は豊かな頤(おとがい)に美しい髭の持ち主で、神仙が俗世に姿を現したようであった。年の頃は九十歳あまりと見受けられた。
つれづれなるままに語り合ううちに、話が国初の事柄に及んだ。西嶽の道士はことのほか詳しく、まるで見てきたかのように語るのであった。不思議に思った白雲観の道士は思い切ってその身元をたずねてみた。すると、道士は悲しそうにため息をついてこう言った。
「実は私は満洲人なのでございます。若い頃に英王の西方遠征に従軍して多くの戦功を立て、参領にまで昇進いたしました。後に経略の莫洛(モロ)に従い、陜西の王輔臣の乱(1674〜1676)を鎮定するべく派遣されました。しかし、莫洛は敵の計略にはまって命を落とし、我々は上官を見殺しにした責を負うのを恐れ、山中に逃げ込んだのでございます。かれこれ六十年余り昔になりましょうか」
そう言って涙を落とすのであった。しばらく泣いていたが、やがて落ち着くと手紙を一通したためた。
「都にはまだ身内がいるはずでございます。どうか、手紙を渡して下され」
白雲観の道士は北京に戻ってから、教えられた住所を訪ねてみた。しかし、とうの昔に他所へ越した後であった。近所の者に聞いてみたが、どこへ越したのかはわからずじまいであった。(清『嘯亭雑録』)