剣仙


 

 の煕寧年間(1068〜1077)のことである。
 太廟(たいびょう、注:歴代天子の霊を祭る廟)の神官に姜適という人がいた。山東の人で、枢密(すうみつ)の姜遵(きょうじゅん)の孫であった。
 この適が都の開封(かいほう、注:河南省)で試験を受けて郷里に帰る途中、どこからか数台の輿(こし)が現れ、前になったり後になったりしてついて来るのに気がついた。適が声をかけるきっかけもないままに郷里の村に着くと、輿も続いて村に入ってきた。適が自宅の門をくぐったところ、輿も彼の家の前に止まった。不思議に思った適が様子を見に出てみると、女が一人立っていた。二十歳余りの絶世の美女である。その美女が開口一番、
「あなたのお嫁さんになりに参りました」
 と言う。適が、
「私にはすでに妻がある。ほかのご婦人には用はないのだが」
 そう答えると、女は別段意に介した風もなく、
「それでも構いません。私はお妾としてお仕えできれば悔いはございませんわ」
 と言葉を返してきた。ああだこうだと押し問答をしているうちに、適もこの女がただ者ではないことに気がついた。結局、女に押し切られる形で、離れの空き部屋に住まわせることにした。女の正体を見極めてやろうというのが目的であったが、正直なところ女の美貌に心を惹かれてもいた。
 女は召使を連れており、煮炊きから飲食まで普通の人間と何ら変わったところがなければ、何か騒ぎを起こすというわけでもなく、ただで美貌の妾が転がり込んできたというわけであった。しかし、何もなければ何もないで何となく不気味で、適はこの女と寝所を共にしなかった。そういうわけでその身の上もわからないまま、家人も女を恐れて滅多に離れに近寄らなかった。
 そうこうするうちに一年が過ぎた。この頃になるとさすがに適も女と打解け、親しく離れに訪ねるようになっていた。

 ある日、適が離れの女のもとで話していると、突然、一人の道人が入ってきた。その姿を見た途端、女は袂(たもと)で顔を覆って大声で泣き出した。道人は適に言った。
「そなたがワシに会うておらなんだら、とてつもない災いに見舞われるところであったぞ。実はな、この女は剣仙じゃ。もとは夫があって非常に仲睦まじかった。しかし、仲違いしてしもうて、この女は姿を変えて夫のもとから逃げ出しおった。怒り狂った夫は復讐を誓って女を探して天下をへ巡り、とうとうここにいるのを突き止めた。じきに愛しい女房の顔を拝みにやって来るだろうて。逃げた女房もろともお前さんをも殺すつもりさ。そのことを知ったワシは、そなたを救って進ぜようと万里の道もいとわず、こうして参ったのじゃ。今夜、きっと異変が起こるぞ。そなたはただ、扉を閉じて静かにしておれ。よいと言われるまで目を閉じ、身動きしてはならぬぞ。そうすれば何の心配もないからな」
 その真夜中のことである。突然、ものすごい音がしたかと思うと、窓から二本の剣が飛び込んできた。適は道人に言われた通り、端座瞑目(たんざめいもく)した。目を閉じた分、鋭敏になった彼の耳に二本の剣が空を切って飛び回る音が聞こえた。時折、首元をかすめる剣の感触がしたので、適は気を引き締めて目をしっかり閉じた。
 どのくらい経った頃だろうか。剣の打ち合うひときわ大きな音が響き、それに続いて、
「目を開けてもよいぞ」
 と道人の声がした。適が恐る恐る目を開いてみると、道人が立っている。すでに夜は白んでいた。道人の足元は血の海で、その真中に生首が一つ転がっていた。
「おめでとうを言わせてもらおうぞ」
 道人はそう言って、腰に吊るした瓢(ふくべ)から薬を一つまみ取り出し、地面に撒いた。途端に血は白い水に変わり、首も道人も消えてしまった。
 その翌日、女も適に礼を述べて、いずこかへ立ち去った。

(宋『玉照新志』)