洛陽三怪記(四)
潘松は半日余りしてようやく息を吹き返した。
「ようやっと気い付いたわ」
守進や知らせを受けて駆け付けた父親が心配そうに寝台を囲んでいた。
「いやあ、ビックリしたわ…」
と言いかけた潘松の表情がこわばった。
「ぼん、どないした?」
色めき立つ守真達に潘松は、一点を見つめたまま、
「あれ、あれ…」
と言うだけである。実は潘松の目にはあの老婆白聖母が部屋の隅に立って、ジッとこちらを見つめているのが見えるのである。しかし、他の人にその姿は見えなかった。
それと察した守真は潘松の父親に向かって、
「ここまであやつらがしつこいとは思いませなんだ。かくなる上は我が師匠蒋真人(しょうしんじん)の助けを借らんとなりませんわ」
と言う。父親が、
「その真人はんはどこにおられるんですやろ」
と尋ねると、
「今は中岳嵩山(すうざん、注:少林寺のある所)で修行しはられとります」
と言うので、
「徐先生にはお手数ですが、真人はんをお迎えしに行ってもらえんでしょうか。何とぞ倅にとり憑いとる妖魔を払っていただきたいんですわ」
と頼んだ。守真は快諾して嵩山へと向かった。
天応観も危ないということで、潘松は父親と共にひとまず帰宅することにした。
帰宅してからの潘松は目を開くと夜も昼も白聖母の姿が見えるので、すっかりふ抜けになってしまった。事情を知らない使用人や近所の者はそんな潘松の様子を見て、
「前々からカスぼんや思うとったら、ついにイカれてもうたわ」
などと言い合っていた。守真が嵩山へ発ってから二週間ほど経ったある日、潘松が門の前で日向ぼっこをしていると、白聖母がニヤニヤ笑いながら潘松に向かって手招きをした。
「御寮はんがなあ、あんたをお呼びですえ」
ふ抜けの潘松がフラフラとそちらへ歩き出したその時、
「待てい!」
鋭い声が響いた。この声に白聖母はハッとして飛びのくと、一陣の冷たい風と化して消えてしまった。潘松が振り返ると守真が厳めしげな一人の道士と共に立っていた。蒋真人を嵩山から連れて戻ったのである。
守真は蒋真人を潘松父子に引き合わせてくれた。
「あんた達からも真人様に助けてくれるようお頼みなはれ」
守真に言われて潘松父子は跪拝して叩頭した。蒋真人は、
「それがしが来たからには、もう安心なされよ」
と潘松父子を力付けた。蒋真人が潘松達に、
「今宵、三更三点(注:夜中の零時半頃)にまず白聖母を誅する」
と告げた時にはもう陽は西に傾いていた。その夜、三更近くになると、蒋真人は潘家の庭に設けた祭壇で妖魔祓(ばら)いの祈祷を始めた。何枚もの護符を焼くと剣を抜いて空に印を切った。間もなく厳めしい甲胄に身を包んだ神将が二人、白聖母を引っ立てて現れた。
蒋真人は鶏用の大きな籠を持って来させると、白聖母をそれに閉じ込めて薪で囲って言った。
「火を付けよ!」
籠は瞬く間に炎に包まれた。炎を透かし老婆の姿はなく火だるまになった一羽の鶏がもがき苦しむのが見えた。
夜が明けると蒋真人は潘松達に言った。
「今日の正午、劉平事の庭園に行って残りの二匹の妖魔を調伏しますぞ」
午前中は鋭気を養うために仮眠をとり、頃合を見て潘松父子と守真、蒋真人の四人は劉平事の庭園へと向かった。庭園の門に着くと、蒋真人は守真に一枚の護符を渡して、
「これを門の前の地面に二本の釘で打ち付けよ」
と命じた。正午になると、サッと一陣の大風が吹き寄せ、四人の神将が現れた。蒋真人は神将達に向って、
「これなる庭園に潜む妖魔を連れて参れ!」
と命じた。風と共に神将達の姿は消えたが、間もなく庭園の奥で天地もひっくり返るような凄まじい轟音(ごうおん)が響いた。音が止むと、神将達が玉蕊娘娘と赤土大王を引っ立てて現れた。
「打ち殺せい!」
蒋真人の命令一下、神将達は手にした武器で妖魔を打ち据えた。神将達が姿を消した後、そこには赤い斑の蛇と白い猫の死体が転がっていた。白聖母は白い鶏の精、赤土大王は赤い斑の蛇、玉蕊娘娘は白い猫の化身だったのである。
以来、潘松の身に怪しいことは起こらなかった。(明『清平山堂話本』)