十三郎と阿霞(一)


 

 江(せっこう)の人、晁豫(ちょうよ)は不惑の年(注:四十歳)を迎えてようやく一子を得た。排行(注:同世代の従兄弟の順序)が十三番目であったので十三郎と名づけた。
 この十三郎、生まれつき愛らしい子供であったが、十四歳になる頃にはまれに見る美少年に成長した。しかし、その性格は優しげな容貌からは想像もつかないほど剛毅で正義感にあふれていた。
 晁家は代々商いを生業とし、名誉や地位というものにトンと縁のない家であったが、十三郎の瀟洒(しょうしゃ)な姿を見た人は口々に、
「どう見ても商人の子とは思えんわい。ご大家の御曹司と言っても通りそうだ」
 と誉めそやした。それこそ、トンビが鷹を産んだようなものだと噂し合ったのである。

 十三郎はことのほか勉学を好み、毎日塾へ通っていた。その行き帰りにはいつも葉(しょう)という絵師の家の前を通っていた。ところで、この絵師に阿霞(あか)という十三郎と同い年の娘がいたのだが、これがいつの頃からか十三郎が家の前を通る時になる時には門の蔭からその姿を盗み見るようになった。阿霞は十三郎に恋心を抱いていたのだが、このことは己の胸にしまい込み、誰にも漏らさなかった。
 その日もいつものように葉家の前を通りかかった十三郎はふとしたはずみで脇に抱えた筆箱を落としてしまった。拾おうと足を止めた十三郎の眼差しは門扉の隙間に吸い寄せられた。ちょうどこちらを伺い見る阿霞の姿をとらえたのである。十三郎は筆箱を拾うのも忘れてその姿を見つめていた。阿霞もまた類まれな美少女だった。十三郎は激しい運動をしたわけでもないのに、心臓が激しく鼓動を打つのを覚えた。このような感覚は生まれて初めてのものであった。しばらくその場を去ることができなかったが、いつまでも立ち止まっているわけにもいかず、ゆるゆると筆箱を拾い上げ、砂を払っておもむろにその場を立ち去ったのである。この時、十三郎はいつか必ず阿霞を妻に迎えよう、と固く心に誓った。

 清明節がめぐってきた。師匠のはからいで十三郎は勉強を半日で切り上げて家に帰ることを許された。阿霞の家の前を通りかかると、開け放たれた門の前で阿霞が糸車を回していた。阿霞は薄緑色の長衫(チャンシャン)姿で、爽やかな微風が額に垂れかかる前髪をなぶる。その艶やかな姿にたまらなくなった十三郎は往来に人通りのないのを確かめると、思い切って声をかけた。
「やあ、お嬢さん。祭日だというのにご苦労なことですね」
 顔を上げた阿霞はパッと頬を赤らめたが、やがて笑いながら、
「まあ、いたずらな坊ちゃまだこと。早く行ってちょうだい。じきに父が戻ってくるから」
 と言って糸車を抱えて中へ入ると、そのまま扉を閉じてしまった。十三郎は自分の軽率な行動に恥じ入り、その場を離れたのだが、後ろ髪を引かれる思いで何度も振り返った。しかし、門扉は堅く閉じられたままであった。以来、彼は重い恋煩いにとりつかれてしまったのである。

 話は変わるが、晁の近所に張阿虎というゴロツキが住んでいた。定職にも就かず、日がな一日ブラブラしては賭場(とば)に入り浸っていた。阿虎は豫が年もとっていた上に臆病な性質であることから、見くびり、いつも金を借りては博打(ばくち)につぎ込んでいた。しかし、この借金が返済されることはなかった。阿虎にははなから返す気などなかったし、豫も乱暴者の阿虎を恐れて取り立てるということをしなかったからである。そういうわけで豫は阿虎に恰好(かっこう)の金づるにされていた。
 この阿虎がしばらく姿を消した。豫はこれで疫病神が消えたと喜んだが、それも長続きはしなかった。何と、阿虎が軍服姿で戻ってきたのである。彼は地元の駐屯地で兵隊になっていた。阿虎は軍服をかさに来てますます無体に振る舞うようになった。相変わらず豫に金をせびり、豫が出し渋ると鉄拳を食らわした。近所の者は阿虎の報復を恐れ、誰一人豫を助けようとはしなかった。
 十三郎はしばしば阿虎が父を脅しつける現場に出くわした。その度に十三郎は憤慨のあまり涙を流しながら、父に余分な金を払わないよう訴えた。
「何であいつはああまで無体に振る舞うんです?いっそのこと、お上に訴え出てやればいいのに」
 豫はため息とともに力なく答えるのであった。
「子供のお前に何がわかる?ワシは訴える気はない。訴えたところで小役人にたかられるのが落ちだからな」
 父の答えに十三郎は歯噛みして悔しがった。剛毅な性格の彼は父を不甲斐なく思い、阿虎への憎悪を募らせた。この頃から、十三郎は常に鋭い小刀を持ち歩くようになった。

 

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