回々(フイフイ)
明の弘治年間(1488〜1505)、朝貢のために中国を訪れた回々の一行が山西の某所を通りかかった。ちょうど山のふもとに差しかかった時、付近の住民が争って泉から水を汲むのを目にした。回々は泉の様子を眺めていたのだが、何を思ったか従者に向ってこんな命令を下した。
「あの泉を買おうと思う。住民と交渉してくれ」
従者が集まった住民にこのことを告げると、
「何を寝ぼけたことを!水なんか買ってどうするつもりだ。それにどうやって運ぶ気なのか?」
との答えが返ってきた。回々、
「そんなこと、お前達が心配することではない。ただ、いくらなのか、ときいてるだけだ」
と言う。住民は笑って、
「なら、千金だ」
と吹っかけてきた。すると回々は、
「よし、買おう」
と言って、即座に千金を払おうとした。これには住民の方が驚いて、
「冗談だ、冗談だよ。水を売る理由があるかい?」
と慌てて打ち消したので、回々は激怒して殴りかかりそうになり、泉をめぐって一触即発の状態となった。恐れた住民が役人にこのことを告げたため、県令が仲裁に入ることとなった。
県令が回々を諦めさせようとして、
「三千金なら」
と高額な売値を告げると、回々は、
「よろしい、買いましょう」
とあっさりと承諾した。支払う段になって県令は再び値段をつり上げ、五千金だと言い直した。回々は怒る様子も見せず、
「よし、買った」
と言う。この気前の良さに県令はいささか恐怖を感じた。そこで、上司である府守に報告した。両者は協議の末、
「大方、回々の冗談だろう」
と決めつけ、真面目に取り合わなかった。
これを聞いた回々は怒った。
「冗談とは何事だ!私にこの泉を売ると言ったのは県令、あなただろう。私はそのために数日間もここに足止めを食っているのだ。ご希望なら、代金として携えている貢物全部をくれてやってもよいぞ。それでも拒むというのか?ならば、力で決着をつけるまでだ」
そして、護衛の兵に命令して攻撃の準備を始めた。府守もやむをえず、泉を売り渡すことに同意した。
回々は早速、斧と鑿(のみ)を手に、泉に流れ込む水をさかのぼって山へ入っていった。そこに一枚の岩があり、水はその岩から流れ出ていた。この岩が泉の水源であった。
回々がその岩を担ぎ出してそのまま行こうとするので、県令と府守は不思議に思い、たずねてみた。
「いったん決まったことだから、こちらとしても覆す気はない。ただ、聞きたいのだが、その岩は一体何なのだ?」
回々の答えはこうであった。
「汝等は天下にいくつ宝があるか知っておるか?」
誰もが知らないと答えると、
「金銀珠玉を宝という者もいるが、そんなものは虚しいものだ。この天下に宝と呼べるものは二つしかない。水と火だ。もしもこのどちらかでも欠ければ、人は生きていけないだろう?火は割と手に入れやすいものだ。しかし、水の方はそうはいかない。それが、今日、ようやく手に入れられた。この岩こそ水を生み出す天下の至宝だ。どんなに汲んでも尽きることなく水が湧き出る。どんな大軍勢だろうと、人口の多い大都市だろうと、この岩さえあれば渇くことはないのだ」
そう語り終えると、回々の一行は岩を携え立ち去った。(明『治世餘聞』)