人狗
乾隆年間(1736〜1795)のことである。長沙(注:湖北省)の市場に一匹の狗(いぬ)を連れた二人の男が現れた。
この狗、普通の狗よりやや大きく、前足の指は普通の狗よりも長めである。後ろ足は熊に似ていた。尻には尾が生えていたが、小さかった。面構えは何やら人間くさく、狗と銘打ってありながらも狗らしくない。ただ、体中に生えているのは正真正銘狗の毛であった。
この狗と称する生き物は人語を話すことができただけでなく、色々な小唄を節をつけて歌いもした。この珍しい見世物にまたたく間に人垣ができ、争うように銭を投げては小唄を歌わせた。
そこへ県令の荊(けい)某という人物が通りかかり、この騒ぎを目にした。荊某は部下に命じて、
「県令閣下のお母上がこの芸を見たがっておられる。礼ははずむから」
と伝えさせ、男達と狗を公邸に連れて来させた。
まず、狗だけ召し寄せると、こう尋ねた。
「お前は人か?狗か?」
狗は答えた。
「自分でもわかんね」
「どうしてあの男達と一緒にいるのだ」
「わかんね」
「お前を連れていた男達は普段、何をしているのか」
「昼間はオラを牽いて市場に行って、夕方に戻ると桶にしまい込むだ。どうしてそんなことするだか、聞いたことね。いつだっただか、雨の降った日に出かけなかったことがあるだ。オラは舟で飼われてるんだが、その時は桶から出してくれただよ。見てると、二人はほかの箱も開けてるでねか。その箱の中には木人がたくさん入ってただ。何十人もいただかな。目も手足も動いてただよ。舟板の下にはジイ様が一人寝てただけど、死んでたか生きてたかオラにはわからね」
今度は二人を逮捕して尋問した。始めは知らぬ存ぜぬの一点張りであったが、針で急所を刺したりして痛めつけると、洗いざらい白状した。驚くことに狗の正体はさらって来た三歳の幼児に細工を施したものだったのである。
その手順は、まず幼児の皮膚を薬で爛(ただ)れさせる。全身の皮膚が剥がれ落ちると、狗の毛と焼いた灰に薬を混ぜて塗りつける。そして、薬を飲ませて傷が回復するのを待つ。傷がすっかり治った頃には体中に狗の毛が生え、尻には尾まで生え、どこから見ても狗の姿になるのである。
ただ、この方法はすこぶる難しく、十人に一人しか生き延びることがない。一匹でも成功すれば、一生金づるにできる。そのために無数の幼児を殺し、ようやく成功したのがこの狗だというのであった。
荊某が木人について尋問すると、
「子供を誘拐してくると、まず脚を折られるのと目をつぶされるの、手足を切られるうちどれがよいか選ばせます。そして不具者に仕立て上げ、乞食として銭を求めさせるのです。それが木人です」
即刻捕吏を送ってその舟を捜索させたところ、舟板の下から奇妙な物が発見された。それは老人の皮で背中に切れ目が入っており、中に草が詰めてあった。何に使うのか問い詰めると、
「これは九十歳を越えた老人の皮で、たいへん得がたいものです。乾燥させて粉末にして薬と混ぜて人に向けて撃てば、その魂を召し使うことができます。数十年かかって最近ようやく手に入りましたが、まだ湿っていて粉末にしておりません。こうして事が露見したのも天命でございましょう。今は一刻も早く死なせて下さいませ」
荊某はその非道な行いに激怒し、極刑に処した。刑具をつけて市中引き回しの末、八つ裂きの刑に処せられた。
死刑を見物に集まった人々は快哉(かいさい)を叫んだ。狗の方はといえば、しばらくして飢え死にしてしまった。(清『子不語』)