柏の枕


 

 湖に廟がある。そこの廟守が柏で作った枕を持っていた。かれこれ三十年ばかりになる年季物で、後ろはひび割れて穴があいていた。

 単父県(ぜんぽけん、注:現山東省)の湯林という人が行商の途中、ここに立ち寄りお参りをした。他の参拝客はおらず、廟守が一人暇そうにしていた。楊林が線香を供え終わると廟守が言った。
「あなたは結婚してはりますかいな?」
 廟守の何ともまのびした物言いに楊林は眠気を誘われながら答えた。
「まだですよ。貧乏暮らしで自分一人養うのが精一杯です」
「ほう…。ほな、養わんで済む縁談がある言うたらどないなされます?」
「ファア〜。そりゃあ、願ったりかなったりですよ」
 楊林は我知らず大きく欠伸をした。とにかく眠い。何だか周りの風景が遠くぼやけていくようである。
「楊はん、こちらどっせ」
 廟守が手招きするので、楊林はフラフラとついて行った。目の前に大きな柏の木の洞があった。
「この洞にお入りなはれ」
 廟守の声が遠くに聞こえた。
「なんかでかい枕みたいな木だなあ…」
 楊林はそう思いながら、洞をくぐった。しばらく行くと明るくなった。そして朱塗りの門に玉の御殿が見えてきた。その華麗なこと、俗世のものとは思われない。
「婿殿がいらしたぞ」
 一人の恰幅のいい中年男が楊林の姿を認めて迎えに出てきた。楊林は訳の分からないまま迎え入れられ、婚礼衣装を着せられ、慌ただしく婚礼を挙げさせられた。
 花嫁は素晴らしい美女であった。聞けばこの家は趙太尉という高官の屋敷で、楊林はその娘婿に迎えられたのだという。楊林は初めは夢ではないかと疑ったが、一度寝て目覚めても花嫁は傍らにいるし、玉の御殿も消えないので、世の中こういう事もあるのかもしれない、とあっさり納得した。
 夫婦仲は睦まじく、四男二女に恵まれた。官界でも趙太尉の婿として成功を収め、秘書郎(注:宮中の図書を掌る官)を振出しに黄門郎(注:天子の侍従)に抜擢された。
 楊林は故郷のことを忘れた。いつまでもここにいたいと思った。そんな時、反逆罪に問われる羽目に陥った。捕り手がこちらに向かっていると聞い て、慌てふためいていたその時、
「楊はん、帰って来なはれ」
 とまのびした廟守の声が聞こえてきた。ハッと気が付くと、楊林は柏の枕の前に坐ってその穴を覗き込んでいた。着衣はここに立ち寄った時と同じ粗末なものであった。供えた線香の火もまだ消えていなかった。

(六朝『幽明録』)