厨娘の料理


 

 退官して郷里で暮らしている老人がいた。田舎暮らしに不満はなかったが、ただ、食事のまずさには閉口した。特に食道楽というわけではない。ただ、長年都の味に慣れ親しんだ舌に田舎料理は大味すぎた。
 老人は昔、都にいた頃、ある大官の家でご馳走(ちそう)になったことを思い出した。大官お抱えの厨娘(ちゅうじょう、注:女料理人)が調理したというその料理は特別なものではなかったのだが、どれもおいしかった。
 料理の味を思い出すうちに老人は自分も厨娘を雇いたくなり、都の知人へ手紙を出して厨娘を一人世話してくれるよう頼んだ。間もなく返事が来た。ちょうどさるお邸から暇を出された二十歳あまりの厨娘がいるとのこと。料理の腕前も確かなら、容姿も端麗で行儀もよいとあったので、すぐに寄越してもらうことにした。

 一月近く経ち、厨娘から手紙が届けられた。今、五里離れたところにおり、まもなくそちらに着くと書いてあったが、見事な手蹟であった。老人が 出迎えの準備をすませたところへ、厨娘が轎(かご)に乗って到着した。後ろには何が入っているのか、たくさんの長持ちを従えていた。厨娘は緑の上着に紅い裙(スカート)をつけ、容貌も作法も申し分なかった。
 老人は大満足で、早速、親しい友人五人を招いて内輪の宴会を開くことにした。この機会に厨娘の料理の腕を試そうというのである。献立は羊頭 (ようとう)の串焼きや、葱(ねぎ)のあえ物など普段食べる料理ばかりであった。厨娘が書き出した材料の目録を見るなり老人は仰天した。
「な、何、何と!羊頭が五十個に、葱が五斤だと?ほかの材料も、これでは桁(けた)が一つ違うではないか」
 しかし、雇った早々にけちなことも言いたくなかったので、目録通りに材料を用意させた。

 宴会の当日となった。厨娘は持参した長持ちを開いて、食器や調理道具を取り出した。どれも金銀を使っており、老人が今まで目にしたことのない立派なものばかりである。下女がすべて厨房に運び込む後から、着替えをすませた厨娘が姿を現した。
 そのいでたちはといえば、袖をくくった上着に前掛けを垂らし、腕には銀の札を下げている。厨娘は椅子に腰かけると、その立派な包丁をおもむろに取り上げた。
 その手際は見事で、無駄な動きがない。しかも包丁を動かすたびに腕に下げた銀の札が涼やかな音色を響かせ、優美なことこの上ないのである。厨娘は羊頭をきれいに水洗いすると、頬肉だけをえぐり取って、残りは惜しげなく地面に放り投げた。下女達がもったいながると、厨娘はこう言った。
「こんなものを貴人にお出しするわけにはいきません」
 下女が拾い上げて、とっておこうとするのを見て、
「まあ、犬じゃあるまいに」
 と笑うのであった。
 葱の方はさっと湯通しをして白い部分だけを人差し指の長さに切り、外側を何重もはずして芯の柔らかい部分だけを残し、三杯酢であえた。もちろん他の部分は捨ててしまう。
 こうして出来上がった料理はどれも淡白で繊細で上品で、もうどう表現してよいかわからないくらいのおいしさであった。客人達は口々にほめそや し、残さず平らげた。
 客人が帰ってから、老人は厨娘を呼び寄せて労をねぎらった。すると、厨娘は恭しくこう言った。
「今日は旦那様のお気に召したようで、嬉しゅう存じ上げます。ついては慣例の心づけを賜りたいのですが」
「へっ?」
 老人が合点の行かぬ様子を見せると、厨娘は嚢中(のうちゅう)から数枚の紙片を取り出した。
「これは私が今まで奉公してきたお邸でいただいた心づけの記録です」
 その紙片には、
「某月某日の宴で二百銭、某月某日三百銭」
 と書かれてあった。しかし、けちなところを見せるのもはばかられ、言われるままに心づけを払った。
 老人は後悔した。
「厨娘がこんなに金のかかるものだとは思わなかった。これではいくら厨娘を抱えていても、気軽に料理を作らせることができないではないか」

 結局、二ヵ月も経たないうちに、他の理由にかこつけて厨娘を都へ帰すことにした。

(宋『暘谷謾録』)