分鞋記(中編)


 

 の妻が売られた先は裕福な商人の家であった。主人夫婦は四十近くになっても子供がなかったので、子供を生ませるため若い妾を探していた。そこへ張万戸が婢女(はしため)を売りに出すという話があったので喜んで飛びついた。
 程の妻は主人夫婦の意図をすぐに見抜き、十分に警戒した。主人と二人きりになることを避け、夜は衣服の上から何本も紐を締めて眠った。
 普段は主人の妻とともに糸を紡いだり機織りをしたが、朝から晩まで休むことなく働き続けた。この勤勉さには主人夫婦も舌を巻いた。ある日、主人の妻から夜通し糸を紡ぐよう命じられた。程の妻は言われた通り糸を紡いだが、徹夜の作業は数日間続けられた。
 これにはさすがに程の妻も疲労困憊(ひろうこんぱい)してしまった。主人の妻はこう言った。
「あんたも疲れただろうから、今晩はゆっくりお休み」
 寝入った程の妻を主人が襲った。しかし、その衣服は何本もの紐がきつく締められ、主人がほどくのに手間取っている間に、程の妻は目覚めた。
「無体なことをなさるのなら、私は死にます。そうなったら、私を売った張万戸様は何と思うでしょう」
 こう言われて、主人は引き下がるしかなかった。主人の妻は命をかけても操を守ろうとする心根を憐れみ、程の妻を娘分とした。娘分になってからも程の妻は勤勉に働き続けた。
 半年が経ち、程の妻は織り上げた布を売って儲けた金を身代金として主人夫婦に納めた。
「このお金で私を自由の身にしていただきとうございます」
「自由の身になってどうするのかい?」
 主人の妻の問いかけに対して、
「尼になりとうございます」
 ときっぱりと答えた。程の妻の意思が動かせないことを知ると、主人夫婦は身代金から出家に必要な物を買い整えてやり、城南の尼寺に出家させた。

 程が遣わした家人は商人の家を訪れた。主人夫婦はすでに七十近くになっており、商売はやめていた。程の妻のことをたずねるとよく憶えていた。
「本当はねえ、あの娘に後継ぎを生んでほしかったんだけどねえ」
 主人の妻は数珠(じゅず)をまさぐりながら言った。
「操を立てなきゃならない人がいたようで、尼さんになってしまったわね」
 そう言って笑う妻の横で、年老いた夫が、
「紐がのう、紐がのう…」
 とブツブツつぶやいていた。

 

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