妓女高三


 

 三は京師(けいし、注:都のこと)の妓女である。幼い頃から美貌で多くの名士に愛慕(あいぼ)されたが、高三は身を清く持した。高三が初めて肌身を許した相手は昌平侯(しょうへいこう)の楊俊(ようしゅん)であった。楊俊が北辺の守備にあたり、数年間、京師を留守にすると、高三は門を堅く閉じ、あらゆる客を謝絶した。

 天順年間(1457〜1464)に、楊俊と都督范広(はんこう)は石亨(せきこう)に誣告(ぶこく)された。罪状は正統十四年(1449)に土木堡(どぼくほ)で帝が敵の虜囚(りょしゅう)となるのを、楊、范の二人は座視して救わなかったというものであった。
「不忠なり、大逆なり」
 二人を擁護(ようご)する者はなく、斬罪に処せられることとなった。市中に引き出されながらも、意気は高かった。とりわけ楊俊は昂然(こうぜ ん)と頭を上げ、胸を張っていた。
「聖駕(せいが、注:皇帝の乗り物)を敵の手に落とさせたのは一体どこのどいつだ!?まことに帝を害し奉るつもりなら、私はわざわざ援軍を率いて救いになど行かなかったわ」
 楊俊は群集に向かって呼ばわったが、その中には身内も知人もいなかった。ただ、遺体を引き取りに下僕が来ているだけであった。
 その時、群集をかき分けて現れた者がある。それは、白衣をまとった高三であった。
「何をしに来たのだ」
「殿のご最期を見届けにまいりました」
 そして、天を仰いで絶叫した。
「天よ、今、忠良の士が死のうとしております!」
 高三の恐れを知らぬ振る舞いに群集はどよめいた。楊俊は、
「もうよい、今さら何をしても無駄なことだ。そなたは行くがよい。ここにいては累(るい)が及ぶぞ」
 と言って去らせようとすると、高三はニッコリ笑った。
「とうに覚悟は決まっております。どこまでも殿にお供いたします」
 楊俊の処刑が終わると、高三はその首を抱き、口づけして慟哭(どうこく)した。そして、針と糸で首を胴に縫い合わせてから、楊俊の下僕に引き渡した。
「丁重に葬ってさし上げて」
 そう言い終わるや、白い練り絹で縊(くび)れ死んだ。

(明『寓圃雑記』)