画馬発財
臨清(りんせい、注:山東省)に崔(さい)という書生がいた。家は非常に貧しく、塀のあちこちが破れていたが、修理したくとも金がなかった。
「また、あの馬が来ている」
朝、外に出た崔は足を止めた。近頃、どこから来るのか一頭の馬が霧に濡れた草の中で寝ているのをよく見かけた。黒に白い斑(まだら)模様の毛並みで、尾は火で焼き切ったようになっていた。
追い払っても夜のうちに戻ってくるようで、翌朝になると草の中で寝ている。見えなければ気にもならないのだが、あいにく塀が破れているので、いやでも目につく。それで、毎朝、見かけるごとに追い払っていたのであった。
馬が来るからといって、何の得があるわけではなし。崔の家は日ごとに困窮の度合いを増していった。そこで、晋(注:山西省)で役人をしている親しい友人のところに厄介になって当座をしのぐことにした。出発に際し、例の馬がまた来ていたので、これに乗っていくことにし、家人には、
「もしも馬の持ち主が訪ねてきたら、晋へまいりました、と答えるのだぞ」
と言い残した。
「行くぞ」
一鞭食らわせると、馬は飛ぶように走り出し、またたく間に百里を駆け抜けた。旅籠(はたご)で飼い葉を与えると、馬は食おうとしない。
「早駆けさせて疲れたのかしら」
そう思って翌日は駆けさせずにいると、馬はじれたように土を蹴る。そこで好きなように走らせたところ、まっしぐらに馳せて、昼には晋に着いてしまった。
「カッコいい馬だなあ」
市中の人々は崔の乗る馬を見てささやき合った。
馬の噂はほどなくして晋王の耳にも届いた。晋王が高額で買い取ろうとしたが、崔は、
「これは借り物なのです」
と断った。
こうして半年経ったが、馬の持ち主が現れたという連絡はなかった。
「野生馬がまぎれ込んだだけかかもしれない」
そう思った崔は馬を八百金で晋王に譲り、自分はたくましい騾馬(らば)を買って臨清に戻った。
それからしばらくして、晋王は使者を臨清へ遣わすことになった。急用だったので使者をあの馬に乗って行かせた。
臨清に到着すると、突然、馬が逃げ出した。後を追いかけていくと、馬は曽という家の門をくぐって姿を消した。
「たのもう、たのもう!馬が逃げ込んだ」
応対に出た曽は逃げ込んだ馬などいないと言う。使者が確かめに入ると、座敷の壁に一幅の絵がかかっていた。それは元の大画家趙子昂(ちょうすごう)が描いた馬の絵であった。中に一頭、黒に白い斑模様のものがあり、ちょうど尾のところに線香の焼け焦げができていた。
使者ははじめて馬が絵から抜け出したものだと知ったが、自身、にわかには信じがたかった。何より、晋王に報告しても信じてもらえそうにない。そこで、使者は馬の代金の返還を求めて曽を訴えた。
実はこの曽の西隣りが崔の家であった。崔は臨清に戻ってから、馬を売った八百金を元手に商売を始めて今では大富豪となっていた。曽の災難を聞くと、自ら馬の代金の立替を買って出た。使者は八百金を懐に晋に戻って行った。
曽は崔にたいそう感謝した。晋王に絵の馬を売って大いにもうけたのが、崔その人であったなどとは思いもしなかった。(清『聊斎志異』)