浄身


 

 陽の人、某は祥符(しょうふ、注:現河南省)で材木業を営んでいた。この地で唐玉簪(とうぎょくしん)という妓女と馴染みになった。玉簪は歌舞、雑劇に長け、情感細やかに接したので、某はすっかりほれ込んでしまい、毎年、白金百両を贈っていた。
 祥符には周府郡王という貴顕(きけん)がいた。邸が鼓楼の東にあることから、「鼓楼東の殿下」と呼ばれていた。この郡王も歌舞音曲への造詣(ぞうけい)が深く、玉簪の評判を聞くと、早速、召し出した。その技量を試してみたところ、たいそう見事であったので、郡王は養母に多額の謝礼を与えて身請けした。
 某は玉簪を奪われた悲しみのあまり、病に臥す身となった。郡王府に出入りする老婆に金を掴ませて、玉簪への伝言をことづけた。
「もう一度会えるなら死んでもかまわない」
 このことを聞いた玉簪は郡王に某と対面することを許してほしい、と願い出た。すると、郡王はふざけてこう言った。
「浄身(じょうしん、注:去勢して宦官になること)してから来るがよい」
 某は老婆から郡王の言葉を聞くと、躊躇(ちゅうちょ)することなく浄身してしまった。ただ、素人の処置で傷の具合がひどく、生死の境をさまよい、傷が癒えるまでに三ヶ月後も要した。
 某は自ら郡王府に出向いて郡王への目通りを願った。郡王は某を召し入れると、前を開いて浄身したかどうか見せるよう命じた。言われるままに衣を解いた某の体を見るなり郡王は大笑いした。
「世間にこのような男がいたとはな。浄身したからには、余に仕えるがよい」
 某は郡王の寛大な心に感謝の意を表した。郡王は玉簪を呼び、門を隔てて某と会わせた。二人は見つめ合って、ただ嗚咽(おえつ)するばかりであった。
 郡王は某に千金を与え、毎年それから生じる利益を納めさせた。

(明『説聴』)