普照塔


 

 の宣和年間(1119〜1125)末のことである。ある豪商が三万緡(びん)もの巨額の喜捨をして、泗州(ししゅう、注:現江蘇省)にある普照塔の改修工事を行った。普照塔は面目を一新し、その華麗さは燦然と輝くようであった。

 建炎年間(1127〜1130)、豪商は故郷の湖南へ戻る途中、船で揚子江を渡った。早朝のことであったが、突然、江の北側に十三層の巨大な塔が出現したかと思うと、まっすぐこちらに向かって来た。波をけ立てて進み、今にも倒れそうである。豪商の家族や水夫達は恐れおののき念仏を唱え始めた。塔は朝日に照らされ、金色に輝いていた。ぶつかりそうになった時、塔の下から一人の僧侶が現れた。僧侶は合掌して言った。
「これは施主殿が塔に飾って下された船でございます。淮上で火災が起きたので、大師が塔を海東へと移されているのでございます」
 その言葉が終わらぬうちに突然大風が吹き寄せ、その風に乗って塔は姿を消した。
 しばらくして、豪商は普照塔が火災で焼失したことを知った。

(宋『老学庵筆記』)

 

 ※僧侶の言葉にある「大師」は唐時代に西域から渡来した僧伽大師を指します。僧伽大師は普光王寺の開祖となりました。普照塔は普光王寺に建てられた仏塔です。僧伽大師は観音大士の化身とも言われました。