荊十三娘


 

 の進士で趙中行という人がいた。温州(注:現浙江省)に居を構え、豪侠をもって本分としていた。
 所用で蘇州に赴いた時、禅寺に逗留した。先客に荊十三娘(けいじゅうさんじょう)という女商人がおり、亡夫のために法要を営みに来たとのことであった。十三娘は日頃から中行の侠気を慕い、同行することを望んだため、揚州に伴った。
 この後も中行は義気を起こしては十三娘の持参した財産を惜しげなく投じたが、十三娘の方も特別意に介することはなかった。

 ところで、中行には李正郎という友人がいた。ある妓女と愛し合っていたが、妓女の両親は二人を引き離し、嫌がる娘を無理やり諸葛殷(しょかついん)という有力者に与えてしまった。正郎は恋人を失った悲しみに打ちひしがれていた。
 時に諸葛殷は呂用之(りょようし)とともに権力者、高駢(こうべん)を惑わし、その威光を借りて権勢を振るっていた。正郎もこの威勢の前には涙を飲むしかなかった。
 正郎が中行のもとを訪れた際、このことを十三娘に話した。すると、十三娘は非常に憤激して言った。
「これしきのこと、私が代わりに仇を討ってさし上げましょう。若様は江(注:揚子江)を渡って、潤州の北固山で六月六日の正午に私を待っていて 下さい」
 指定された日に正郎が北固山で待っていると、十三娘が大きな袋を担いで現れた。袋の中身は正郎の恋人と、その両親の首であった。こうして正郎は無事、恋人を取り戻すことができた。

 十三娘は揚州で大いに義を振るったが、やがて中行とともに浙江へ入った。その後のことは誰も知らない。

(宋『北夢瑣言』)