貞燕烈鴛


 

 の元貞二年(1296)、一つがいの燕が河北の柳湯佐(りゅうとうさ)という人の家に巣を作った。
 ある夜、蠍が出たので家人が灯火を掲げて捜していたところ、雄がびっくりして巣からころげ落ちて、猫に食べられてしまった。雌が飛び回ながら悲しげに鳴く声がいつまでもやまなかった。雌は朝夕、巣を守って残された雛を育て上げ、やがて巣立っていった。
 明くる年、燕の渡ってくる季節となり、雌は柳湯佐の家に戻って来た。そして、昨年と同じ巣に棲んだ。家人が巣をのぞいて見ると卵が二つあったので、別の雄とつがいになったのだろうと思った。しかし、いつまで経っても雛がかえる気配がない。調べてみると、それは去年の卵の殻であった。
 雌は春になると飛び去り、秋に戻って来ることを続けること六回、そのたびに噂を聞きつけた人々がこの燕を見に集まった。皆、この燕を「貞燕」と呼んで褒め称えた。

 明の成化六年(1470)十月にも似たようなことが起きた。淮安の塩城(注:現江蘇省)にある大蹤(だいしょう)湖の漁民が一つがいの鴛鴦(お しどり)を見つけた。漁民はその雄を捕えると、鍋に煮えたぎる湯に放り込んで煮た。雌は恋々と鳴きながら鍋の周りを飛び回り、とうとう沸騰した湯に身を投じて死んでしまった。
 漁民は途端に悲しみに襲われ、食べることができなかった。

 先のが「貞燕」ならば、これこそ「烈鴛(れつえん)」と呼べよう。

(明『双槐歳鈔』)