一人四殺


 

 宋の紹興二十五年(1155)のことである。
 呉傅明(ごふめい)が安豊軍(現安徽省)を駐守することになり、番陽(現江西省)から先触れとして一人の兵士を遣わした。

 兵士が舒州(じょしゅう、現安徽省)の一村を通りかかると、村人が大勢集まって何やら騒いでいた。
「まだ戻って来んのんか。何とかせにゃならんのう」
 不審に思った兵士が、一体何の騒ぎかとたずねると、
「村のモンの女房が虎にさらわれたんじゃ。亭主がえらい怒って一人で刀を引っさげて虎の巣穴へ行ったんじゃが、まだ戻って来よらん。今、村の衆で助けに行こう相談しよるところじゃ」
 とのこと。しばらくすると、男が女の死体を担いで戻って来た。
「やれやれ、戻って来たんか。心配しとったぞ」
 男は死体を下ろして語り出した。
「はじめ虎の巣穴に入ると、親虎は二頭ともおらんかった。ただ、子虎が二頭、遊びよったから、ぶっ殺してやった。巣穴に隠れてしばらく待っていると、雌虎が人を一人くわえて戻って来たわ。巣穴は入り口が狭うなっとるけ、虎は後ろ向きになって入って来よった。ワシはその尻尾をつかみ、刀で片足を切り落としてやった。すると、虎はくわえていた人を放して、よろめきながら逃げて行きよった。よう見てみたら、ワシのカカアじゃないか。もう死んどった。雌虎の方は足を引きずりながら数十歩行って、谷川にはまりよった。それから、ワシは巣穴で雄虎が戻って来るんを待ち続けた。突然、恐ろしげな声が聞こえたか思うと、雄虎が現れた。雄虎も後ろ向きになって巣穴に入ろうとしたけ、さっきと同じ方法でぶっ殺した。カカアの仇は討った。気も晴れたわ」

 村人は隣村の住人とともに虎の巣穴へ行き、四頭の虎の死体を担いで戻って来た。虎の肉は煮て食ってしまった。

(宋『夷堅志』)