蘇州の乞食


 

 州の某家の嫁が里帰りをすることになった。小間使いが宝石箱を持って後をついて行ったのだが、途中で厠に立ち寄った時に宝石箱を忘れてきてしまった。しばらく行ってから気がつき、慌てて取りに戻った。すると、年若い一人の乞食が宝石箱を抱えて坐っている。誰か取りに来るのを待っているようであった。
 小間使いが事情を説明すると、乞食は宝石箱を返してくれた。謝礼の要求もしない。
「ここまで落ちぶれると、他人の金品を盗む気も起こらなくなるのですよ」
 乞食はそう言った。小間使いは感激して、礼代わりにと釵(かんざし)を一本抜いて与えた。乞食は釵をおしいただいて笑った。
「多くの金品に目もくれなかった私に、たった一本の釵を愛せよとおっしゃられるのですか」
 小間使いは言った。
「もし宝石箱が見つからなかったら、私は奥様に会わせる顔がありません。死んでお詫びをしなければならなかったところです。幸い、あなたが宝石箱を見張っていてくれたおかげで、私は死なずにすみました。あなたは返礼を望まず、人に善行を施すことだけを望んでいるのでしょうか?それでは私の気がすみません。私のお仕えする家は某巷にあります。これからは毎日正午にいらして下さい。お食事を分けて差し上げましょう」
「しかし、あなたは奥にお仕えしているのでしょう?どうやって会うのです」
「門の前に長い竹が生えております。いらしたらそれをゆすって合図をして下さい」
 以来、毎日正午になると、乞食はやって来て小間使いから食事を分けてもらった。
 しばらくすると、小間使いの行動は家中の知るところとなった。主人は小間使いが恋人と逢い引きでもしているのかと疑ったが、事情を知ると乞食の行いに感心した。そして、乞食を召し使うことにし、小間使いを妻として与えた。

 何と心の清らかな乞食であろうか。どれほど落ちぶれようとも、君子の心を捨てないとは。

(明『説聴』)