象の嘆願
唐の宝暦年間(825〜827)のことである。
循州河源(注:現広東省)に蒋武(しょうぶ)という人がいた。筋骨たくましく、非常に豪胆であった。山中の岩屋に一人で住み、日々狩りをして暮らしていた。
怪力の持ち主であった武が得意としたのは大弓であった。片足で弦(つる)を踏んで矢を放てば百発百中で、どんなに獰猛(どうもう)な獣でも弦音に応じて倒れないものはなかった。
ある日のこと、せわしげに門を叩く者があった。武が扉越しに様子をうかがうと、一匹の猩々(しょうじょう)が白い象にまたがっていた。猩々が人語を話すことができることを知っていたので、武は猩々にたずねた。
「象と一緒に何をしに来たのだ?」
猩々は人語で答えた。
「象たちが禍に見舞われております。人語を話すことができるので、こうして一緒にまいりました」
「禍とは、一体どういうことだ?」
「この山の南二百余里のところに、大きな洞窟がございます。中には長さ数百尺もある巨大なうわばみが棲んでおります。その眼は稲妻のごとく、その牙は剣のようなのです。そこを通る象は皆、呑まれたり噛まれたりして命を落としたものは数百頭にも及びますが、逃げ隠れるすべがございません。あなたが弓をよくなさるとお聞きし、毒矢であのうわばみを射殺してほしいのです。象たちの禍を取り除いて下されば、必ずご恩返しをいたします。象たちはそう申しております」
猩々を乗せた象もまた地に跪いて、涙を雨のように流した。
「ご承知下さるなら、弓矢を携えて象にお乗り下さい」
武は毒を塗った矢と大弓を携えて象の背に乗った。
二百里あまりも行くと、果たして洞窟の中で二つの眼が爛々(らんらん)と輝いている。その光は数百歩先まで射るほどであった。
猩々が言った。
「あれがうわばみの眼です」
武が得意の大弓を構えて一矢でうわばみの眼を射抜くと、象は彼と猩々を乗せたままその場から急いで逃げた。
やがて洞窟の中から雷鳴のような唸り声が上がり、巨大なうわばみが躍り出した。うわばみは苦しみのあまり毒気をまき散らしながらのた打ち回った。木や草は数里に至るまで、皆、その毒気で焼け焦げた。そのままうわばみは暴れ続け、日の暮れる頃にようやく息絶えた。
洞窟の近くを調べてみると、象の骨や牙が山のように積まれていた。十頭の象が鼻で紅い象牙を一本ずつ運び、跪いて武の前に積み上げた。武が受け取ると、猩々は別れを告げて去った。白い象が武と象牙を背負い、岩屋まで運んでくれた。
武はこの象牙のおかげでたいそうな財産を築いた。(唐『伝奇』)