孝 女
北京の崇文門(すうぶんもん)外の花院市には数千軒もの民家が軒を連ねている。ここの住民は紙で造花を作って暮らしていた。
ここに年老いた父親と暮らす幼い娘がいた。老父は長年、喘息(ぜんそく)を患い、時折、激しい発作に襲われた。近頃では頻繁に発作を起こすようになり、ほとんど臥せっていた。これと言った特効薬もなく、医者も手を施しようがなかった。娘は寝食も忘れて老父の介抱に励み、その病状に胸を痛めていた。
たまたま隣家の老婆が近隣の婦女達と連れ立って、Y髻山(あけいさん)へ参詣(さんけい)に行くことになった。娘は老婆にたずねた。
「何のために参詣するの?」
「自分や家族の病気を治してほしいとか、子宝が授かるようにとか、色々願いごとがあるからだよ。Y髻山の頂上に祭られている娘娘(ニャンニャン)様はたいそう霊験(れいげん)あらたかだから、私達の願いごとをかなえてくれるんだ」
「ここからお山まではどれくらいあるのかしら?」
「そうさね、百里あまりあるかね」
「一里って歩いたら何歩になるの?」
「三百六十歩だよ」
娘は老婆との会話を心に刻みこんだ。
その夜、娘は老父が寝つくのを待って、こっそり中庭に出た。そして、線香を一本捧げると、祈りの言葉をつぶやいた。
「娘娘様、私は体が弱く、また病気の父の世話をしなければならず、お山へ参詣に行くことができません。そこで、お山へ行くつもりで、毎日少しずつ歩きます。一歩一歩心をこめて百里あまりを歩き通せば、お山へ登って娘娘様の聖像を拝んだことになるでしょう。一日も早く老父の病気が治り、百歳まで長生きできますように。この願いをかなえて下されば、着物を縫ってさし上げます。ご恩は一生忘れません」
娘はひまを見ては昼も夜も中庭を歩いた。そうして半月あまりが経った。
Y髻山の頂上で祭られている娘娘様とは碧霞元君(へきかげんくん)のことで、上は宮城の后妃や王侯貴顕(きけん)から下は庶民まで、広く信仰を集めていた。
毎年四月には大祭が催され、多くの人々が車馬を連ねて参詣にくり出す。大祭の初日の夜明けに正殿で最初に捧げる香を「頭香」といい、これは必ず宮城から遣わされた宦官(かんがん)によって行われていた。ほかの人がそれより先に焼香することは許されなかった。
この年の大祭には、宦官の魏公が皇太后の名代として遣わされた。魏公が夜明けを待って正殿の扉を開けさせると、すでに香炉からは煙が立ち上っていた。魏公は激怒して、廟主を叱りつけた。
「皇太后様の焼香もまだだというのに、どうしてほかの者に焼香させたのか?」
廟主はすくみ上がって答えた。
「閣下がおいでになるまで、正殿を開けることなどありましょうか。私にもなぜだかわかりません」
魏公は心を静めて考えた。
「廟主の言うのももっともだ。我らが来た時、扉には鍵がかかっていた。それに、香もまだ焚いたばかりのようであった。これは何か驚くべきことが起きたのかもしれぬ。明日の朝早く、もう一度様子を見に来ることにしよう」
そして、廟主に、
「咎めだてはせぬ。翌朝、もう一度焼香に来るので、正殿をしっかり閉じておけ」
と命じ、いったん山を下りた。
廟主は弟子達とともに夜通し正殿を監視した。正殿に忍び込もうとする者を見つけたら、即座に取り押さえるつもりであった。そこへ昨日より早い時刻に魏公がやって来た。
廟主が正殿の扉を開けると、香炉からはすでに煙が立ち上り、その前で一人の娘が跪いていた。
「一体、どういうことか?」
魏公達が驚きの声を上げた途端、娘は姿を消した。
「あれは幽鬼だろうか」
一同は顔を見合わせて不審がると、魏公は、
「碧霞元君の聖地に幽鬼が姿を現わすことなどあろうか。きっと何か因縁があるはずだ。よし、私に考えがある」
と言って、まず、焼香をすませた。それから、山門に出て参詣客を集めると、閉め切られた正殿にどこからが娘が現われて焼香したことを告げた。あわせて娘の年齢や容貌、服装なども告げ、心当たりのある者はすぐに申し出るよう命じた。
参詣客はひたすら驚くばかりであったが、その中に娘の隣家の老婆もいた。
「もしや、あの子じゃなかろうか。何から何まで、あの子とそっくりに思えるのだけど」
そこで、
「お恐れながら……」
と、魏公に申し出た。
「どうして普通の娘にそのような不思議なことが起こせたのだろうか?」
「たいそう父親思いの孝行娘でございます。きっとその思いが娘娘様に通じたのかもしれません」
魏公は大きくうなずいて、立ち上がった。
「きっとその娘に違いあるまい」
早速、山を下りて宮城に戻り、焼香をすませたことを報告した。それから、ひそかに花院市へ足を運んで娘の様子をうかがったところ、果たして正殿で見た娘に間違いなかった。そこで、娘を召し出して、Y髻山のことをたずねてみた。
「私は一歩も門を出ておりません。お山に上るつもりで一歩一歩数えながら歩いていただけです。ただ、不思議なことに歩いているうちに、ぼんやりとしてきて、娘娘様にお参りしたような気持ちになっておりました。そうしたら、不思議なことに父の病が治ったではありませんか。きっと娘娘様が私の願いをかなえてくれたのでしょう」
魏公は娘の孝心に心の底から感動した。
「父を思う心が奇跡を起こしたのだ。これこそ真の孝女だ」
そして、義理の娘とし、まるで自分の実の娘のように慈しんだ。
その後、老父は三十年の間、喘息の発作に襲われることなく安楽な老後を送り、百歳でその生涯を終えた。娘は大興(現河北省)の張家へ嫁いだのだが、その豪勢な嫁入り支度はすべて魏公の手でなされた。張家はこれを元手に商いをはじめ、豪商として代々栄えたという。(清『夜譚随録』)