水南寺の犬


 

 西玉山県の水南寺は古刹(こさつ)である。ここに月印(げついん)という六十あまりになる僧侶がおり、日がな一日僧房にこもって経を読んでいた。外へ出かけることはなく、その行いはすこぶる清らかであった。

 寺では十年あまり前から、一匹の犬を飼っていた。この犬は月印が読経をはじめると、その僧房へ行って、じっと耳を傾けるのであった。また、木魚の音がたいそう好きで、木魚を鳴らすと、尾をふってやって来る。これには寺の僧侶ばかりでなく、参詣に訪れる人々も不思議に思った。

 後に犬は重い病にかかった。体中の毛が抜け落ちて膿みただれ、悪臭を放った。このような体になりながら、読経の声を聞くと、まっしぐらに飛んできた。僧侶達は犬を不憫(ふびん)に思い、追い払おうとはしなかった。

 ある日、月印は弟子を集めてこう言った。

「あの犬は見ているだけで気分が悪くなる。お前達、外へ牽き出して、殴り殺しておくれ」

 一番犬を可愛がっていたのは月印であったから、弟子はこの言葉に驚いた。弟子達は犬を殺すに忍びなく、寺の外に出すことにした。

「お経の声を聞いても、おとなしくしておいで。お師匠様に怒られるからね」

 そう言って、犬を厳重につないだ。

 三日の間、犬は姿を見せなかった。三日が過ぎて、月印が読経をはじめると、犬はつないであった綱をちぎって寺にかけ込んで来た。

 月印は驚きの声を上げた。

「まだ殺していなかったのか! 何ということだ、このままでは手遅れになるぞ」

 そして、弟子に某村の某氏の家の様子を見に行くよう命じた。弟子が戻って言うには、

「お産の真っ最中でした。三日経っても赤ん坊が生まれず、医者も手の施しようがないそうです」

 とのこと。月印は、

「お前達がこの犬を殺すに忍びないと思っていることはわかっている。しかし、この犬を殺さなければ、母子の命が危ないのだ」

 と言って、犬を殴り殺させた。そして、再び弟子に某家の様子を見に行かせると、男の赤ん坊が生まれていた。

 月印はこのことを知ると、

「よきかな、よきかな。あの犬はいつも経を聞いて功徳を積んでいたおかげで、人間の男児に生まれ変わったのだ。微々たるとはいえ、官位と俸禄を受ける身となろう。拙僧はその姿を見ることはできないから、お前達、このことをしっかり憶えておいておくれ」

 数年後、某氏の息子は寺を訪れた。息子は読経の声にじっと耳を傾け、なかなか立ち去ろうとしなかった。月印はその頭を撫でながら言い聞かせた。

「前世と変わらず、寺が好きなようだな。よいことだ。しかし、お前にはささやかながら受けるべき富貴がある。まだ、ここに戻る時ではないぞ」

 某氏の息子は成人の後、ごく低くはあるが、官位を得た。また、家もそこそこに豊かで、暮らしに困ることはなかった。老年になって辞職すると、水南寺で暮らすようになった。この時、月印が世を去ってからかなりの歳月が過ぎていた。某氏の息子は月印のために立派な塔頭(たっちゅう)を建てた。また、金を出して寺の建物を修繕し、田畑を買い入れて寄進した。

 某氏の息子は七十歳あまりで死んだ。その一生は平凡で穏やかなものであった。

(清『右台仙館筆記』)