夜星子


 

 のさる高官の家に九十あまりになる老婆がいた。高官の祖父の妾で、家中、上から下まで、

「お婆さん」

 と呼んでいた。老婆は日がな一日、奥座敷のオンドルの上にジッと坐ったままで、ものも言わず、笑いもしなかった。痩せさらばえた姿は飢えた鷹のようであったが、よく食べ、病気もしなかった。老婆はいつもひざに猫をのせており、これもジッと動かなかった。

 高官にはまだ幼い息子がいたが、夜泣きがひどく、家族は困っていた。都では子供の夜泣きは「夜星子(イェシンズ)」という妖怪の仕業であると言われていた。高官は夜星子を捕らえるために、多額の謝礼を用意して祈祷師を招いた。祈祷師は中年の女であった。

 祈祷師は桑の木で作った弓と桃の木の矢を取り出した。長さ五寸(当時の一寸は約 3.2センチ)ほどで、矢には数丈(当時の一丈は 3.2メートル)の白い糸がつないであった。夜になると、祈祷師は子供の傍らで糸の端を薬指に巻きつけて矢をつがえた。

 夜もとっぷりと更け、月明かりが窓に射し込んだ。子供が何かにおびえたように泣きはじめた。しばらくすると、窓の紙にぼんやりと人影が浮かび上がった。影は前に進んだり、後に下がったりした。よく見ると、女の姿をしており、身の丈は六、七寸ほどで、手には矛(ほこ)を持ち、馬に乗っていた。

 祈祷師は声をひそめて言った。

「来た、夜星子が来たよ」

 そして、弓を引き絞って射ると、影の肩に中った。

「キャッ!」

 影は矛を投げ捨てて逃げ出した。祈祷師は糸を頼りにその後を追った。家族がその後に続いた。矛を投げ捨てたところには、小さな竹の串が落ちていた。

 奥座敷まで行くと、糸は扉のすき間から中に入っていた。集まった家族が、

「お婆さん、お婆さん」

 と呼びかけたが、返事がない。そこで、蝋燭をともして中に入って夜星子の姿を捜したが、どこにもなかった。その時、下女の一人が叫んだ。

「お婆さんの肩に矢が!」

 見ると、老婆は糸のついた小さな矢を肩に突き立てたまま、血を流しながらうめいていた。猫は老婆の股の下にうずくまっていた。家族が老婆の肩から矢を抜いたが、血は止まらなかった。

 祈祷師の指図で猫を打ち殺すと、子供の夜泣きはピタリと止まった。老婆は病にかかり、数日後に死んだ。

(清『夜譚随録』)