書中の美女(一)


 

 城(ほうじょう、注:現江蘇省)の郎玉柱は代々知事を輩出した家柄に生まれた。亡き父も含めた先祖達はいずれも清廉な役人として生涯を終え、俸給以外の収入の道はなかった。唯一の収入である俸給はといえば、もっぱら書物を買い込むのに費やした。要するに書物収集に血道を上げた家柄であった。
 玉柱に到ってはもう書物狂いの最たるもので、生活は貧窮のどん底にあって売る物すらないほどでありながらも、父祖の残した蔵書を一册たりと も手放そうとしなかった。父は存命中に『勧学篇』を紙に大書して座右に貼り付けていたが、玉柱はこれを朗誦(ろうしょう)するのを日課としてい た。しかも、この紙が傷むことをおそれて、薄い紗でしっかり覆ってあった。
 玉柱のどこが書物狂いかというと、その根拠は書物を読む目的にあった。彼は日夜熱心に書物を読んでいたが、これは別段生活の糧を得るためではなかった。彼は純粋に『勧学篇』に記されているように、書物の中にこそ真に金や粟があると信じ込んでいたのであった。
 そういう次第で玉柱は昼も夜も書物に没頭し、書物を読んでいれば暑さも寒さも感じなかった。
 二十歳を過ぎでも結婚する気などなく、書物の中から美女が現れるのをひたすら待ち続けていた。客人や親類の訪問を受けても、どう挨拶してよいのやらわからず、二言三言ムニャムニャ言ったかと思うと、書物を広げて大声で朗誦し始めるので、これには客人の方が退散してしまった。
 肝腎の試験の方はといえば、一次試験は首席で合格しても二次試験になると不合格となってしまうのであった。

 ある日、玉柱はいつものように書物を読んでいると、突然、大風が吹いてきて手にした書物を吹き飛ばしてしまった。慌てて後を追いかけたところ、土の柔らかくなったところで足を取られてつまづいた。
 手で探ると、腐った草で表面を覆った穴であることがわかった。試しに掘り返してみると、それは穀物を蓄えた穴倉であった。かなり古いものとみえ、蓄えられた穀物はすっかり朽ち、土に帰っていた。
 食べることなどもちろんできなかったが、玉柱は一つの確信を得た。これこそ『勧学篇』に言う「書物の中に千鍾の粟あり」という言葉にほかならないのではないか。彼は以前にも増して読書に熱中した。
 また別の日に梯子(はしご)に登って書架の高い所を見ていると、乱れた書物の中から一尺あまりの金の輦(くるま)が出てきた。玉柱はまさしく『勧学篇』にある「書物の中に金屋あり」の験(しるし)に間違いない、と大いに喜んだ。これを人に見せたところ、実は純金ではなく鍍金(めっき)だとわか り、昔の人に騙(だま)されたような気がして内心恨めしく思った。
 ちょうど、父と同年で道台(注:地方長官)となった人がおり、これが熱心な仏教の信者であった。ある人の勧めでこの道台に仏龕(ぶつがん、注:仏像を納める厨子)代わりに輦を贈った。道台は大いに気に入って、返礼に三百金と馬二頭を贈ってきた。玉柱、すっかり嬉しくなって、『勧学篇』に「書物の中に『金屋』があり、『車馬』がある」と書いてあるが、なるほどそうだ、と思い、ますます読書に励んだ。しかし、すでに歳は三十を越えてしまった。
 縁談を持ち込む者もあったが、
「『勧学篇』は『書物の中に玉の如き顔の美女がいる(書中有女顔如女)』と言っているから、妻がなくとも構わない」
 と一向に取り合わなかった。

 

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