書中の美女(二)


 

 れから二、三年、玉柱はより一層の熱意を読書に傾けた。しかし、試験の結果はといえばさっぱりで、人々は揶揄(やゆ)して笑った。
 その頃、奇妙な噂が巷に流れた。天上の織女が逃げ出したというものであった。これを取り上げて、
「織女が逃げ出したというけど、君の所に来るためじゃないかね?」
 とからかう者もいた。玉柱は自分がからかわれていることを十分承知していたので、何を言われても聞かぬふりをした。
 ある夜、玉柱は『漢書』を読んでいた。ちょうど八巻の半ばまで読み進むと、紗(しゃ)で作った美女の切り絵が挟んであるのを見つけた。彼は驚いた。
「『書物の中にこそ玉の如き顔の美女がいる』とあるが、これがその験だろうか」
 そして、うっとりとその切り絵に見とれた。
 美女の面立ちはまるで生きているようで、裏には細い字でうっすらと「織女」と書かれいてる。玉柱は噂を思い出し、ますます不思議に思った。以来、毎日、その美女の切り絵を書物の上に置いて、あきもせず眺めた。寝食も忘れるほどであった。

 その日もいつものように美女の切り絵をぼーっと眺めていた。すると、驚くべき変化が起こった。突然、美女が動いたかと思うと腰を折り曲げて起き上がったのである。美女は書物の上から玉柱を見上げてニッコリと微笑んだ。たま消た玉柱は慌てて机の下にひれ伏して拝んだ。そろそろと顔を上げてみると、美女の姿は一尺ほどになっていた。玉柱はますます驚いて叩頭して伏し拝んだ。美女は机の上からヒラヒラと飛び降りたのだが、その姿は生き身の絶世の美女であった。
「何の神様でしょう?」
 玉柱の問いかけに美女は答えた。
「顔(がん)姓の者で字(あざな)は如玉(じょぎょく)と申します。あなたとはずっと前からお知り合いでしてよ。いつもお目をかけていただいておきながら一度もご挨拶にあがらないままでは、それこそ昔の人の言葉を信じる人がいなくなってしまいますもの」
 玉柱は大いに喜んだ。この日から、彼は如玉と一つ部屋で暮らすようになった。しかし、玉柱は書物を読むことしか知らない男、枕を共にしたから といって何をするわけでもなし。ただ枕を並べて眠るだけであった。
 玉柱は読書をする時には必ず如玉を傍らに坐らせるのだが、如玉の方では彼に読書をやめさせようとする。しかし、玉柱は聞き入れなかった。如玉は厳しく戒めた。
「あなたはご自分が試験に落ちてばかりいる理由がおわかりなの?ただ、意味もなく読んでばかりいるからなのよ。春、秋の試験の及第者をご覧なさいな。あなたのように読んでばかりの人がどれだけいるかしら?私の言うことをきかないのなら、私は帰ってしまいますからね」
 こうきつく言い聞かされると、さすがの玉柱もしばらくの間は読書をやめることにした。しかし、日が経つとその戒めも忘れてしまい、書物を広げて声高らかに読み始めた。
 しばらく読むうちに如玉の姿が見えなくなっていることに気がついた。驚き慌てた玉柱は跪いて如玉が一刻も早く姿を現してくれるよう祈ったのだ が、影も形も見当たらない。その時、如玉が姿を隠していた場所を思い出した。彼は『漢書』の八巻を取り出して、細心の注意でめくっていった。果たして、元の場所に如玉は最初の切り絵の姿で挟まっていた。
「如玉、如玉」
 呼びかけても切り絵はすまし返った表情でピクリとも動かない。そこで、ひれ伏して哀願した。
「また言うことをきかなければ、今度こそ永久にお別れですよ」
 頭上から如玉の声が聞こえてきたので、顔を上げてみると目の前に如玉が立っていた。

 

戻る                                 進む